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古墳と言えば、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」(堺市・羽曳野市・藤井寺市)が有名ですが、皆さんは岸和田市にも「摩湯山古墳」という前方後円墳があるのを知っていますか。
「なんや、この森?」と思いながら近くを通り過ぎている人も多いのでは…。
実はこの摩湯山古墳、国指定史跡(昭和31年5月15日指定)で、全長約200メートル、全国第36位の大きさを持つ巨大古墳なのです。古墳時代前期(4世紀後半。世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」より約100年も昔!)につくられたもので、歴史的・文化的に非常に価値のある日本有数の古墳です。
今号では、岸和田市民にもよく知られていない「摩湯山古墳」を、広報広聴課職員が探検しながら紹介します。
問合せ 郷土文化課文化財担当電話:072-423-9688 ファクス:072-423-8011、広報広聴課広報担当電話:072-423-9402ファクス:072-423-6409
摩湯山古墳 2013年撮影
航空写真からは馬のひづめのような形をした周濠(長池)が見て取れます。摩湯山古墳は丘尾切断型の前方後円墳で、後円部に水を湛えた濠はありません。
国道26号中井町交差点から岸和田牛滝山貝塚線に入り、山側へ車で走ること6分。城東小学校西の交差点を左折して摩湯町方面へ向かうと……、右手に見えてきました「あの森」が!
改めてその大きさと、池に浮いているかのような姿にびっくりします。外から観察していると、いろいろな種類の樹木がうっそうと茂り、鳥の姿も見えます。
摩湯バス停横には、立派な史跡説明板が設置されていました。「和泉地方を代表するばかりでなく全国的にも重要な古墳である」と刻まれた文字に興奮!「この中は一体どうなっているんだろう?」
さあ、探検の始まりです!
まるで池に浮いているかのような外観
「うわぁ、大きい!」
史跡説明板
摩湯バス停
様々な植物や生き物の息吹が感じられます
入り口から草をかきわけ入って行くと、まず目に入るのは、背の高い石碑
市郷土文化課文化財担当・山岡さんのレクチャーを受けながら、まずは前方後円墳の後円部を目指します。
古墳型クッションを使い、古墳の向きや現在地を確認しながら進みます
なかなかの勾配で、まるで山登り!
途中で葺石を発見!葺石とは、古墳の墳丘斜面に敷いた石のことで、墳丘の崩壊を防ぐために付近の河川から採取した石材を斜面に敷いたと考えられています。「松尾川や牛滝川から運ばれたものではないか」と山岡さん。
約1600年前の葺石
古墳のテラス部分まで上がり、円筒埴輪の模型を使いながら埴輪列の説明を受けていると、全長約200メートルの巨大古墳にずらりと飾り立てられた埴輪列が想像できました。そして、なんと! 埴輪列があったであろう場所で、
埴輪片を偶然発見!(発掘技師指導のもとで採取)。これには一同大興奮!これぞ史跡を歩く楽しみかもしれません。
埴輪列があったであろうテラス部分(円筒埴輪は模型です)
なんと、埴輪片を発見!「おそらくタガ(突帯)部分でしょう」と山岡さん
※タガとは、埴輪に巻かれ貼り付けられている粘土の帯のことです。
後円部に到着して周りを見渡すと、なんとなく円形になっているのがわかります(写真の点線参照)。後円部は、亡き首長を埋葬し、盛大に埋葬祭祀が行われてきたという前方後円墳で最も重要な場所です。
学生時代に習った歴史の授業を思い出し、しばし古代ロマンに想いを馳せる時間となりました。
後円部に到着!被葬者が埋葬されている主体部(竪穴式石室)があったと推定される場所
後円部には、和泉葛城山山頂と同じく、雨乞いの神様「八大竜王」が祀られています
続いて前方部へ移動。これもまたなかなかの下り坂です。前方部の一番端に到着すると、歩いた距離から改めて巨大古墳の大きさを実感。くびれ部を通り、前方後円墳の形を確認しながらまた後円部に戻り、本日の探検は終了しました。
後ろに見えるのは長池で、対岸は道路です。前方部の一番端に来て、古墳の大きさを実感!
「泉南郡山直郷 摩湯墓地」と書かれた図が残されています。岸和田藩士 浅野秀肥作文政元年~2年(1818年~1819年)頃作成
(大阪歴史博物館蔵)
さて、それでは気になる出土品はというと…、鰭付円筒埴輪や朝顔形埴輪などの円筒埴輪、器財埴輪の埴輪片をはじめ、土師器(高杯)が墳頂部から出土しています。これまで平成9・10年度に周濠周堤部の発掘調査が実施されていますが、本格的な調査は実施されていません。
そして、一番のミステリーは「摩湯山古墳は一体誰のお墓なのか」。摩湯山古墳の被葬者はいまだ明らかになっていません。泉州地域で大きな影響力のあった首長の墳墓が有力な説だと考えられています。
長い年月が経ってもいまだ解明されていないことが多い古代史の世界。その分「ああだったのでは」「こうだったのかもしれない」とあれこれ想像する楽しみがありますが、摩湯山古墳の謎も、これから解明されていくことを期待したいですね。
鰭付円筒埴輪 (府立泉大津高等学校所蔵)
埴輪片
結晶片岩
今回の探検で見つかった埴輪片と結晶片岩。結晶片岩は主体部(埋葬されている部分)で使われたものと推測されます
探検の様子を動画でもご覧いただけます。
普段は立ち入ることはできませんが、摩湯山古墳を探索するイベントは毎年開催されています。
摩湯山古墳は自然の宝庫でもあり、過去に古墳観察だけでなく、植物や鳥、昆虫などの自然観察会も開催されてきました。
イベントを開催する際は、広報紙などで随時お知らせしますので、ぜひ国指定史跡を訪れてみてください。
図書館友の会 史跡を歩くツアー(2024年1月)
自然資料館 自然観察会(2022年)
岸和田市には、国指定の史跡・名勝・天然記念物が3件あります。その中でも摩湯山古墳は、「和泉葛城山ブナ林」の大正8年に次いで指定が古く、昭和30年代初めにはその重要性を認められ、国指定史跡になっています。しかしそれ以降、その規模と立地、利活用の難しさから、公開や学術調査が進んでいません。
摩湯山古墳は、過去に様々な言説が唱えられていますが、大学機関による墳丘の詳細測量調査以外には、発掘などの学術調査は行われていないに等しく、実際には謎だらけです。本当に地域の「王」が眠っているのか、それすらも確定ではありません。
学術調査による摩湯山古墳の正確な築造年代、墳丘規模、構造、被葬者像などの解明は、岸和田のみならず泉州地域の古墳時代を理解する為には必須です。ただ、これらの解明には多くの時間がかかります。まずは今回の特集を機に「市民のみなさんに知っていただく」ことを岸和田・泉州の古墳時代解明の第一歩にできればと思います。
郷土文化課文化財担当
山岡 邦章