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[開催報告]泉州ゆかりコレクション特別講演会「相馬九方・土屋鳳洲を巡る学者群像」を開催しました
3月23日(土曜日)に開催の泉州ゆかりコレクション特別講演会「相馬九方・土屋鳳洲を巡る学者群像」は、雨の中17名の参加がありました。
講師の万代博史氏により、影響を受けあった学者との関係を、「相馬九方・土屋鳳洲関係学系図」に基づいて詳細に講演いただきました。
特別講演会レジュメ 1 [PDFファイル/440KB]・特別講演会レジュメ 2 [PDFファイル/76KB]
講演会を終えて 担当者からのミニコラム
江戸時代中期の儒者荻生徂徠(おぎゅうそらい)は古文辞学の立場から、中国古代思想の研究や詩文の制作に取り組み、江戸に漢詩を流行させました。塾を開いて後進を育成し、そこで学んだ、岸和田藩士府川家に生まれた菅甘谷(かんかんこく)は、大坂で初めて徂徠学を伝えた学者となりました。その流れは香川出身の藤川東園へと繋がり、ここで学んだ高松出身の中山城山の塾で、同郷の相馬九方も学びます。中山城山の盟友で漢学者の春田横塘(はるたおうとう)も岸和田の人で、晩年の岸和田藩の藩校に出講していました。この人の勧めにより、香川から相馬九方と藤沢東畡(ふじさわとうがい)が来阪しました。
相馬九方は、このころ知り合った蘭医の新宮涼庭(しんぐうりょうてい)の推挙により、岸和田藩の藩校「講習館」の館長になり、多くの人材を育てました。藩政にも関与したため、「お家騒動」に巻き込まれ、一時は投獄の憂き目にあいます。吉田松陰が岸和田を訪れた際に徹夜で議論を交わしたことがありました。他に人を訪ねる用があって同道した際の偶然の出会いだったようです。
藩校「講習館」では、岸和田藩士の長男である土屋鳳洲が学び、後に相馬九方の婿養子となり、後を受けて教授になります。維新後は校長や教授を歴任し、堺で塾を開きます。ここでは、チベット交流の先鞭をつけた、河口慧海(かわぐちえかい)が学びました。土屋鳳洲は多くの漢詩文を残し出版物も多岐にわたり、岸和田城址碑も手掛けています。
他にも多くの影響を受けあった学者について貴重な話を伺いました。一人一人の関わり合いが興味深く、アンケートにはもっと話を聞きたかったとの意見が寄せられました。
このようにして「引き継がれていく学問」を知り、学者たちが先人に学び同世代で切磋琢磨する姿を垣間見て、学びとは楽しみであったのだと改めて思いいたりました。
図書館は、学ぶ楽しみを知る場所でもあります。これからの郷土展示や講演会がその一助になるよう今後も企画、開催をしてまいります。
アンケート集計結果
- 参加者 17名
- アンケート回収 16枚
年齢
- 60代・・・3名
- 70代・・・7名
- 80代・・・6名
講演会をどのようにしてお知りになりましたか?
- 広報きしわだ・・・・・・・・・・8名
- 図書館のポスターまたはチラシ・・6名
- 図書館ホームページ・・・・・・・0名
- その他・・・・・・・・・・・・・2名
本日の講座について
- とても分かりやすかった・1名
- 分かりやすかった・・・・5名
- ふつう・・・・・・・・・2名
- やや分かりづらかった・・1名
- 分かりづらかった・・・・0名
- 記入なし・・・・・・・・7名
図書館をどのくらいのペースで利用されますか?
- 週に1度以上・・1名
- 2~3週に1度・・6名
- 数カ月に1度・・7名
- その他・・・・・0名
- 記入なし・・・・2名
どこから参加されましたか?
- 市内・・16名
- 市外・・0名
今後参加してみたい行事があればご意見お聞かせください。
- 岸和田の近世史関連
講演の感想、講師へのメッセージをお願いします。
- 名前の知っている学者が 沢山出てきて、点だけに人が点と点がつながり、面になってきて大変おもしろかった。ありがとうございました。
- 岸和田騒動の話が特に興味がもてました。まとまった際には是非とも拝見したいものです。
- マイクの言葉が判りにくかった。
- 多くの人物が紹介され、ややこしかったが参考になった。
- もう少し相馬九方・土屋鳳洲のことも聞きたかった。
- 説明が広範囲であるため(散文)理解するのが困難であり少し絞り込んだ方が…。
- 私の先祖は1640年に岡部宣勝が岸和田に来た時に、鳥居家と言う氏がいたか?その氏名を持って西大路に住んだものと思われます。その時の歴史が解かれば嬉しいです。
- もっと長くお話を伺いたかったと思いました。ありがとうございました。
- 詳しく長時間興味深く聴講できました。ありがとうございました。
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