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「『江戸の検屍官』と『無冤録述』」(ミニ岸和田再発見第31弾)

印刷用ページを表示する 2017年8月1日掲載

 『江戸の検屍官』は、江戸川乱歩賞を受賞した川田弥一郎の時代小説シリーズ小説でコミック化もされています。

 川田は医師ということもあって時代医療ミステリーというべき作品を多数書いていますがこの作品もその一つです。江戸北町奉行所の同心が、当時の検屍の手引きというべき『無冤録述』を頼りに死体を丹念に調べ、事件を解明していくストーリーです。

 ここに登場する『無冤録述』ですが、死体解剖が行えなかった当時の検屍において、死体を観察することによってその死因を探るための手引書となり、検屍の教典として作中で何度も引用されています。

 南宋時代(1247年)に出版された法医学書『洗冤集録(せんえんしゅうろく)』を元にして書かれた江戸時代の医学書です。タイトルに「冤(ぬれぎぬ)を洗(すすぐ)」という言葉を選んだのは、検屍は容疑者にとって、冤罪に陥るかすすぐかの瀬戸際であり、検屍こそがそれを決定するものなのです。

 それゆえ、法を執行する者は、慎重のうえにも慎重を重ねなければならないという表れです。『無冤録』は朝鮮を経由して日本に渡来していますが、唐本(とうほん・中国から伝来した書籍)も朝鮮本(『新註無寃録』)も存在します。

 江戸時代初期から、唐本又は朝鮮本を基に刊行され、宝永期(1704~1710年)頃まで刊行が続けられた著名な書物でした。

 これら諸版を元に、元文元(1736)年、泉州の河合尚久が、重要な箇所のみを抜粋し、訓読・翻訳をして、明和5(1768)年に、『無寃録述』の題名で刊行しました。

 さらに、寛政11(1799)年再版本及び嘉永7(1854)年三版本が刊行され、以降明治43年頃まで幾度も再版されました。日本に於ける最初の法医学書ともいうべきもので、明治40年代まで警察の現場でも実際に重用されたということです。

 『無冤録述』は上下からなり、上巻では肉体の部位とその名称および、検視にあたっての心がまえ、注意点が述べられています。下巻では31の死因とその死体に現われた特徴が記されています。

 その著者である河合尚久(かわいなおひさ)については、著作も『無寃録述』以外は確認されていないこともあり、詳細は判明していません。

 『無寃録述』の緒言の最後には「泉州河合甚兵衛源尚久識」とあり、さらに序文には「泉南の河合・・・」と書かれています。現代と違って江戸中期の泉南はどの地域を指す言葉でしょうか。江戸初期までは「泉南祥雲寺」などというように堺を泉南と表記することがありました。

 しかし、江戸も中期から末期になると泉南の表記が岸和田・貝塚・泉佐野を指すようになります。つまり、岸和田以南を指していると考えられます。岸和田でも河合姓が多く、今後の研究が待たれます。

 『無寃録述』上巻の人体図
『無寃録述』上巻の人体図

『無寃録述』の緒言の最後
『無寃録述』の緒言の最後

嘉永7年版序文(部分拡大)  嘉永7年版序文(部分拡大)2
嘉永7年版序文(部分拡大)