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「捕鳥部萬(ととりべのよろず)と忠犬シロ」(ミニ岸和田再発見第25弾)
人は誰しも心にタイムマシンを持っており、未来へは想像の「翼」に乗って、過去へは思い出と懐かしさの「船」に乗って自由にタイムスリップすることが出来ます。私は今回「昔話・伝説」とこの「船」との関係について考えてみることにしました。
なぜ人は千年も前の昔話や伝説に心惹かれ、登場人物や動物に心の琴線を揺さぶられるのか、私は、岸和田発見2『岸和田の昔話』(岸和田市立図書館刊)の編集に関わって少しその秘密が見えてきたような気がしました。その「船」には、2つの秘密があると思います。
1つ目は、その昔話や伝説の「心」は、現代人の心とどう共振共鳴するのかという点です。ここで取り上げた「捕鳥部萬碑文(明治24年)」から考えてみました。(なお、原話は岩波書店刊「日本古典文学大系」68巻『日本書紀』(下)165~166p参照)。「碑文」(約1,000字)は天神山の大山大塚古墳にある「捕鳥部萬墓」のすぐ傍の縦230cm×横145cm×厚さ27cmの巨石に格調高い見事な文と筆跡で刻まれておりますが、そこには高潔で武勇に優れ、知恵ある萬が生き生きと描写されています。例えば、「その性 清く正しく その心忠実に雄々しく 殊に武士の道に勝れたる人なり・・・(略)・・・(萬を撃ち取らんと)衛士等数行向ひ囲みし時 主(萬)は 唯独り其所の篁(たかむら=竹藪)の中に入つつ 竹枝に縄結着て引動し 人をして己が入居る処を思惑はしめつつ射出す矢は一矢だに空しからず・・・(略)・・・(萬の最期の言葉)萬は天皇の御楯と為り雄々しく仕奉らんと為る・・・(一部新字体)」等の生き様は、時空を超えて今なお私たちの胸に響くものがあります。そして、「・・・如く有るに主が養い置ける白犬ありしが大(いた)く泣吠え屍の側を去ず遂にその所斬(きられ)し頭を喫(くひ)持ち埋め 側に臥て物も食ずて死果ぬ・・・」という忠犬シロの描写に私たちは思わず涙するのです。
「船」のもう1つの秘密は、昔話や伝説の「心」を心としつつ、それを伝える手立ての為に帆や舵を作り、羅針盤を据え、又、語り部の役を黙々と担い続けている人が大勢いるということです。例えば、前述の「碑文」を初め、紀州街道を歩けば津田川の岸見橋南詰に「忠臣捕鳥部萬墓 並 犬塚 是ヨリ三十丁」(32×31×180cmの角柱)と刻まれた道標やその道標通り、ほぼ直線に進めば、岸城塔原線の八代寸神社に曲がる角に「右 忠臣捕鳥部萬墓」(20×18×65cm)という道標が造られているのです。そして、その八代寸神社を抜けると、眼前に天神山の2つの丘が美しい姿を見せますが、その左の丘に萬の墓、右の二又池を見下ろす丘の上に萬家犬塚(25×20×65cm)があるのです。又、津田川に架かる170号線の有真香大橋の親柱には、それぞれ捕鳥部萬の勇姿と亡くなった主人を恋い慕うシロの姿が浮き彫りされ、いずれも古を偲ぶ「船」の役割を担っているのです。
しかし、これらはあくまでも「もの」です。この「もの」に命を吹き込み、これらを人々の心に住まわすために力を尽くしていただいているのが、多くの民話関係者であり萬家の子孫である塚元家(現当主は萬の63代目)の皆さんでありましょう。特に塚元家では、墓の維持管理は勿論のこと、多くの研究者を受け入れるとともに、毎年、萬の命日である旧9月26日には萬祭を催し、600年超の見事な鎧兜を飾り、近所の子どもたちや多くの人々にくるみ餅をふるまわれています。私も二度ほど詣らせていただきましたが、あのくるみ餅は本当に美味しかったですね!いずれにしても、岸和田は名所旧跡が多く、活気があって人情豊かな町です。そして、これらの地下水脈の一つである伝説昔話の宝庫です。