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古写真からみる岸和田の文化財【5】
郷土文化室所有の古写真からみる岸和田の文化財
【久米田池・久米田寺 編】
本市には、市内の文化財の古い写真が、多数保管されています。昭和30年代初頭を中心とした写真には、先に公開したシリーズ【3】の久米田古墳群のほかにも、久米田寺周辺、久米田池などがあります。
これらの写真はこれまであまり公開されたことがありませんでしたが、現在、モノクロネガやプリントからスキャニングを行いデジタル画像化して整理を進めています。
今回はそれらの写真を、市立公民館自主学習グループ「みち」さんの中の「写真整理チーム」と一緒に整理し、意見を加えてまとめてみました。
写真整理の様子
みんなで月に2回集まって写真を整理し、自主学習グループらしい、自由な視点で意見を出しあっています。みんなで50年前の岸和田を写真で散策するようなイメージで意見を出し合いました。今回は特に久米田池・久米田寺を中心にまとめてみようということで、【久米田池・久米田寺 編】として取り上げました。
この昭和30年代初頭を中心とした写真は、日々移り変わってゆく岸和田を見つめる上で、重要な情報を提供してくれます。その情報に基づき、みんなが感じたこと、思ったことを書きとめ「みち」さんの意見としてまとめ、郷土文化室で個々の写真に、解説、コメントとして加筆、編集しました。
久米田池
久米田池遠望
この写真をみて、池の堤の桜が見えないね。という話がでました。でも、モノクロ写真だし・・・撮影場所は現在の久米田池交流会館の辺りからで、取水塔から岡山の丘陵のあたりを見た風景でしょうか。
違う角度からの写真
遠くに取水塔が見えます。現在の池の堤と同じですね。奥に見える工場は藤波紡績でしょうか。
この頃の久米田池の絵があります。それは、岸和田にゆかりの深い画家、小川翠村の岸和田八景のうちの「久米田池」です。この絵が描かれたのが昭和10年頃と推定されています。
小川翠村「久米田池」(郷土資料館 『郷土の風景を愛した日本画家 小川翠村』より)
この絵をみると、ピンク色がきれいです。でも、よく見てみるとピンク色なのは池の堤じゃなくて、岡山の丘陵部ですよね。実は、このピンクは桃の花なのです。岡山の丘陵には戦前、桃が植えられとてもきれいだったと伝えられています。そして昭和10年頃に描かれたこの絵の堤には桜は見当たりません。
・・・てっきりこの絵は、久米田池の堤の桜を描いているのかと思っていました。思い込みとは怖いものです。
違う角度からの写真
松の奥に、現在の火消し地蔵の近くにある倉庫?が見えます。でも松は見えても、桜らしきものは見えません。久米田池の桜はいったいいつ植えられたのでしょうか?ご存知の方、教えてください。
現在、桜の名所として知られる久米田池も、たった50年前には、桜が見当たらない。そしてこの太い松。柵が無く、あぶなっかしいようにも見えますが、湖畔の風景としてとても良い雰囲気を持っています。いつも見ている久米田池もどんどん変化しているのです。
<追加>
4月6日のホームページアップ後に見つけた久米田池の写真を追加します。
昭和17年 合併上申書添付写真
昭和17年の久米田池の写真がありました。やはり桜はまったくないですね。どちらかというと、殺風景な印象をうけます。これが小川翠村の絵に最も近いアングルの写真です。
パノラマ写真も出てきました。よくわかるので、台紙のままスキャンしました。昭和30年代初めの写真だと推定しています。
「岡山桃林」とされる写真
さらに、興味深い写真がでてきました。昭和17年の合併上申書の添付写真です。写真本体がなく、タイトルが「岡山桃林」と書かれています。幸いにも複写が存在しましたので、掲載します。池の堤から岡山丘陵方向を見た写真ではないかと思います。池の水は抜かれているのでしょうか? 写真では桃林はよくわかりません。
久米田寺
久米田寺
久米田寺に移りました。奥に久米田池、石灯篭が見えます。
石灯篭のアップです。普段あまりじっくり見たことがないので、新鮮です。
靖霊殿
靖霊殿のアップです。撮影は昭和33年頃ですので、昭和32年に建てられました靖霊殿はピカピカです。この靖霊殿は岡部長景氏の取り計らいで、玄奘三蔵の遺骨を奉安し、戦没者の霊を祀っています。
靖霊殿落慶法要
昭和32年10月20日の靖霊殿落慶法要の様子です。とても大規模な様子がうかがえます。
奉納された雅楽なのでしょうか?まるで西遊記に出てきそうないでたちですね。靖霊殿は玄奘三蔵の遺骨を安置するということからもぴったりな演出です。
約50年前の久米田寺金堂前です。右の写真(現在)と様子が違いますね。建物が建て変わっています。お堂の前の松の木だけが太くはなっていますが、そのままです。
久米田寺門
久米田寺の山門周辺です。今と変わらないような気もしますが、写真奥の信徒会館が新しくなっています。写真が傾いているのはご愛嬌。
久米田寺の山門の拡大です。現在(写真右)のほうが新しく見えます。よくみたら50年前の写真は額が今にも落ちそうです。
台風被害
昭和36年の第二室戸台風後の写真です。本堂などは無事だったみたいですが、小さな屋根が飛ばされた建物があったみたいです。
久米田寺 五輪塔
久米田寺にある、光明皇后、聖武天皇、亀山天皇を祀る石造五輪塔です。よく見たら昔は土塀の名残のようなものと、墓誌のようなものが建っていたのですね。現在は見当たりません。
左から光明皇后、聖武天皇、亀山天皇と並んでいるそうです。光明皇后の五輪塔が聖武天皇にそっと寄り添っているのは偶然でしょうか。現在はまっすぐに修正されています。 野暮ですよね。
墓誌
五輪塔の墓誌の写真がありました。当時の岸和田市文化財保護専門委員さんたちが拓本を採っているところです。残念ながら、郷土文化室にはこの拓本は残っていません。この墓誌、拓本の行方をご存知の方、教えてください。
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江戸時代に出版された、和泉名所図会の久米田寺の部分です。右の拡大部分の手前側に三石塔と書かれたところがあります。周りには土塀が廻っています。古写真に見えた土塀のようなものはこの土塀の名残だったのでしょう。
<追加>
行基首塚
行基首塚と書いた写真がでてきました。面白いので台紙ごとスキャンしました。どうして首塚なのでしょう。行基さんは首ははねられていないと思うのですが。由来をご存知の方、おしえてください。
今回紹介した写真は、整理が行なわれた写真のごく一部です。このほかにも久米田界隈の写真はたくさんあります。みんなで整理を行なっていて感じるのは、「何気ない風景がどんどん変わっていっている」「岸和田らしさも変化している」「ふだん見ているようでも意外と現在の様子がわからない」といったことでしょうか。特に普段見ているはずなのに、実はよく見ていないことの多さに驚かされます。
古い写真を整理することは、お家の机の引き出しから古い写真を思いがけなく見つけた感覚と同じです。みち写真整理班からも「あ~ここ、こんなになっていたんだ!」とか「変わってしまったな~」とか「そうそう、昔はこうだった」とか「知らんわ~これ」とか様々なつぶやきに似た感想がもれてきます。このつぶやきに、昔と今と未来を繋ぐヒントがあると考え、逐一拾い上げてノートに書き加えていってます。つぶやきのすべてを公開できないのは残念ですが、一部はみなさまに還元できたかな?と思います。
私たちが大切にしたい岸和田の風景、景観、岸和田らしさとは何でしょうか。あらためて過去と現在を見比べることで、見えてくる未来があると思います。そういった意味ではすでにこの古い写真たちは郷土の文化財なのかも知れません。この写真を公開してゆくことで、市民のみなさまが郷土を見つめなおすための一助になれたら幸いです。
郷土文化室 古写真シリーズ
【1】摩湯山古墳周辺 【2】春木八幡山遺跡周辺 【3】久米田古墳群 【4】岸和田煉瓦 【5】久米田池・久米田寺周辺