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丘陵地区の地域資源について

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2015年7月29日掲載

丘陵地区の地域資源について

丘陵地区で見られる生き物

フクロウ

フクロウ

全長50cm前後、翼を開くと1m程になります。頭が大きく、ずんぐりむっくりした体系です。求愛期の1~2月に「ゴロスケホーホー」とよく鳴きます。鎮守の森や屋敷林など、古くから人が生活しているすぐ近くにも生息し、最近ではカラスの古巣や地上で営巣するフクロウもいるそうです。

チャノキ

チャノキ

丘陵地区には昔、茶畑があったと言われています。現在は地元の小学校と連携して、お茶畑再生プロジェクトを実施しています。真っ白な花びらと、長い雄しべが印象的で美しいが、まるで隠れるようにうつむき加減に咲くので、あまり目立たない花です。

メジロ

メジロ

さえずりは「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」と聞こえます。群れになって「チーチー」と鳴きながら、花の蜜を吸っています。

ミコアイサ

ミコアイサ

冬になると丘陵地区にやってくるカモです。オスは白黒のパンダガモです。「アイサ」とは「秋が去る」ことで秋から冬になる頃に渡って来るからだそうです。

ルリビタキ

ルリビタキ

さえずりは「ヒョロヒュルルリッ」。「ルリビタキだよ」と聞こえます。亜高山の林で繁殖し、冬になると低地に下りてきます。

ミサゴ

ミサゴ

頭とお腹などが白い大きな猛禽類。池などの水辺の上を飛びながら、エサの魚を探しています。捕った魚を足に持ったまま、飛んでいることがあります。

キジ

キジ

鳴き声は「ケーン、ケーン」。「けんもほろろ」という言葉は、この鳴き声と羽根の音に由来すると言われています。走ると速い。

アカネズミ

アカネズミ

低地の草地、水田、畑などで見られ、ススキ、チガヤ、スゲなどを使って球形の巣を作ります。草地の減少に伴って生息地が減少しています。

 

アオスジアゲハ

アオスジアゲハ

身近な公園でもよく見られ、木や花の周りをすばやく飛びまわっています。

 

トノサマガエル

トノサマガエル

鳴き声は「グルルル…」。雄と雌の体色に差があります。雄は金色もしくは緑色で背面に小隆条(突起)があります。雌は黒い斑紋をもっています。

ハグロトンボ

ハグロトンボ

平地から丘陵地の流れの緩やかな川に棲んでいます。未熟期は周辺の林床でも見られます。雄は腹部が緑色に光ります。

ヘイケボタル

ヘイケボタル

ゲンジボタルより小型のホタルで、水田や湿原といった止水域を主たる繁殖地としています。雄は非常に速く光を点滅させます。

ハヤシノウマオイ

ハヤシノウマオイ

「スイーチョン、スイーチョン」と間を長く延ばして鳴きます。「スイッチョ」と長く延ばさないハタケノウマオイもいます。

ナノハナ

ナノハナ

春の花、農耕地や公園で見られる花です。丘陵地区ではところどころに、綺麗な菜の花畑が広がります。

バラ

バラ

蜻蛉池公園では、春と秋のシーズンに約200種・2300株のバラをヨーロッパの雰囲気と共に楽しめます。岸和田の「だんじり」にちなんだ品種も。

アジサイ

アジサイ

6月の蜻蛉池公園では、約40種10000株の色とりどりのアジサイが咲いています。

スイセン

スイセン

例年1月の見頃には、約60,000株のニホンズイセンが、斜面一面に可憐な花を咲かせ、甘い香りを漂わせます。

探訪マップはこちら探訪マップ
蜻蛉池公園や農地の、自然探訪コース [PDFファイル/1.68MB]

丘陵地区の歴史や文化

 

神於山

神於山

 神於山周辺は古くから泉州地域の歴史・文化の中心的な位置を占めてきました。特に、水の信仰に支えられてきた神於山信仰は、雨乞い行事に見られる山岳信仰と仏教の融合で、神社や寺を設けて行場とする修験道により、さらに信仰が深められました。
寛政8 年(1796 年)に描かれた『和泉名所図会』にも、「神於山は泉州地域の真ん中にあり、南北をはるかに見渡せます。西の方には海が見え、沈む夕日や月が淡路島にかかり、この地方で一番眺めのいいところです。美しい風景を見たい人はぜひ訪れてください。」といった紹介がされており、神於山が古く、江戸時代から眺望の良い所として知られていたことがわかります。

 

菅原神社

菅原神社

牛滝川のほとり宮山にあります。
菅原神社誌によれば、後土御門天皇が在位中の西暦1487年に稲葉元春・稲葉築城と同時に菅原大神を京都の北野天神より勧請して鎮祭し稲葉天神と称したといいます。1872年に菅原神社と改称して今日に至っています。
目通り周囲5m、高さ30m のクスノキの大木が神木となっており、樹冠が境内を覆っています。社叢(神社の森)が市の天然記念物に指定されています。

(勧請とは…神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)

法螺貝(ほら貝)のはなし (昔話)

神於寺には、高麗伝来と伝えられる寺宝の法螺貝があります。
むかし、いつの頃か年代が明らかではありませんが、あるとき盗人に盗まれました。盗人は、これを持って現在の阪南市貝掛まで逃げのびました。盗人は貝掛まで来たとき、浜辺でこの貝をマツの木に掛けて休みました。しばらくすると、盗人の耳に、「神於に帰りたい。神於へ帰りたい。」という声がするので、よく見ると貝が泣いていました。盗人はびっくりして怖くなり、この貝を持ち逃げることができず、また神於寺へ返しに来たと言うことです。そして、貝掛けのマツの名前が残り、阪南市に今の「貝掛」という地名ができたということです。

神於山 油彩 黒瀬恵子

「神於山の麓には美人はいない?」 (昔話)
(実際には美人の多いことで有名)

むかしむかし、神於山の裾野の小さな農村の百姓家に、とてもきれいな娘がいました。ある雨降りの夕方、こんな農村では見たこともないような立派な侍が雨宿りをし、それがきっかけで、娘はその侍に嫁ぎ家を出ました。
 それから娘からは何の音沙汰もありません。ある日村人が、神於山へ薪をとりに行くと、拝殿の床下に侍に嫁いだ娘の下駄がころがっているの見つけました。名高い占い師に占ってもらったところ、「そのときの侍は、神於山の神様の使者である大蛇の化身で、あまり娘が美しいので、さらっていったのだ」と言います。
娘の母親は、臨終の際、「私の娘は美しかったばかりに、こんなかわいそうなことになってしまった。私が死んだら娘の下駄のあったところに埋めて欲しい。私は永久にこの山の見える村には、きれいな女の子ができないように祈っています」と言って死にました。そのためでしょうか、神於山の麓の村には、きれいな子供はできないと言い伝えられています。
 実際は、神於山の麓には、美人が多いので有名です。拝殿のあったとされているところも、今は開墾されてミカンの木が植えられ、この話だけが今でも伝えられています。

探訪マップはこちら探訪マップ2
地域の歴史、文化探訪コース [PDFファイル/2.22MB]


風物百選(市制60周年記念事業・昭和58年(1983年)制作)にみる丘陵地区の風景

風物百選 68 包近桃畑

桃畑 油彩 高須国之

 4月のはじめには必ず桃の花畑にやって来た大叔母が、来なくなってから久しくなります。朝もやの中で静かに煙る桃畑。明るい日ざしの中で華やかなじゅうたんを敷き広げる桃畑。夕映えの中で緋(ひ)色の雲海に変身する桃畑……。その中を品のいい和服でゆっくりと行く大叔母の後ろ姿を眺めるのが、幼いころから私はなぜか、大好きでした。
 ついさき頃、信濃の山里を訪れた日のことです。人けのない店頭に並べられた、もぎたての桃の実を見て、思わず足を止めました。おしりをほんの少し突き出し、めしべの1本が残っていそうな優しい姿。食(は)めばざっくりと芯まで歯が通って、緋色の果肉が顔をのぞかせそうな懐かしい果実。桃と一緒に育った私には、一目でそれは「大久保」だとわかりました。
 包近ではもう見かけなくなった品種です。あの和服姿のよく似合う大叔母が目を細めて散策したのも、実はこの「大久保」の花畑でした。大叔母はすでになく、包近の桃畑は現在、清水白桃中心に変わりました。
 より甘く、より柔らかく、より艶(つや)やかな桃の実を追い求めて包近の農家は工夫をこらし、ミカンづくりよりも何よりも手間ひまのかかる桃づくりに励んでいます。
 3月の下旬から4月の上旬にかけて、桃は一斉に花開きます。その花畑の中を、桃づくりの辛苦から離れていつの日か、あの大叔母のように、ふうわりと歩きたい---そんな和服姿のおのが姿を、ふと思い浮かべたりするこのごろです。

文 西村敏

資料

包近特産の桃栽培については、昔、付近の山から鬼が出て、毎夜悪事をはたらいていたので、鬼が嫌う桃を植えたという伝説が残っている。包近町を中心に栽培され、府下で一番の生産率を持っている。春、花が咲き、5月中には1個ずつ袋がけして実を守る。


 平成27年現在も残る包近の桃栽培の様子です。今年は包近町の生産農家「マルヤファーム」代表の松本隆弘さんが栽培した桃が糖度22.2度を記録し、世界一甘い桃としてギネス世界記録に認定されました。 約10年をかけて糖度アップに成功したという松本さん。「包近の桃を世界の人に知ってもらいたい」という気持ちでギネスに挑戦したそうです。昔も今も、より甘く、より柔らかく、より艶(つや)やかな桃の実を追い求める農家の姿に変わりないですね。

風物百選とは

この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。

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