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久米田寺
僧行基が天平10年(738年)に開基しましたが、永禄年間(1558~1570)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失しました。現在の建物は、江戸時代中期に再建されたものです。久米田寺所蔵の文書の内「楠家文書」などが、国の重要文化財として、指定されています。4月21日は久米田寺の縁日で、近隣の住民は「21日のおだいっさん」と親しみ、また、春は桜の名所として有名です。
1.金堂
五間四面、単層四注造、瓦葺き、本尊釈迦如来脇待は普望・文殊の両菩薩立像、明和七年の再建と伝えられ、堂内には松平定信筆『隆池院』の三字額が掲げられています。
2.開山堂
桁行三間、梁行三間半、文政五年の再建と伝え、行基菩薩の像を安置しています。
3.御影堂
三間四面、文政七年の建立と伝えられ、弘法大師の像を安置しています。
4.聖天堂
方二間、嘉永七年の建立と伝えられ、大聖歓喜天をまつっています。
6.観音堂
三間四面、行基菩薩四十歳のとき、災厄を除かんがため、自刻と伝える千手観世音を安置しています。享和三年の再建で、扁額の文字は徳大寺実祖の筆。
7.楼門
二間四面、久米田池を臨み宝永三年の再建と伝えられ、扁額『龍臥山』は徳大寺実祖の筆。
8.靖霊殿
昭和32年10月、日清・日露戦争から太平洋戦争に至る、岸和田市出身戦没者の霊を祀っています。これは法隆寺東院伽藍の中心をなす八角堂国宝の夢殿を模して建立され、中には岡部藩の末裔で元文部大臣、故岡部長景の力添えにより、唐僧玄奘三蔵法師の御霊骨を奉安し、靖霊殿と号されています。
9.多宝塔
弘法大師空海が唐より帰朝後、伝法の拠点とした京都の東寺より仏舎利を足利直義により当寺に奉納せられ、遺存していた仏舎利をお祀りしています。
10.五輪塔
俚伝によるとこの三基の内、中央は聖武天皇、左端を光明皇后、右端を亀山天皇の墓と伝えられていますが確証はありません。石塔は、その様式から鎌倉期のものと認められます。亀山天皇が嘉元3年に崩御され、その遺徳をしのび久米田寺の外護者であった聖武天皇と光明皇后の追福も合わせて、安置したものと思われます。
大阪府岸和田市池尻町
交通 JR阪和線久米田駅下車徒歩10分
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