本文
久米田古墳群(くめだこふんぐん)説明板
久米田公園(池尻町)内に久米田古墳群の説明板を設置しました。
久米田古墳群
久米田古墳群は、標高35~40m前後の久米田丘陵(くめだきゅうりょう)に立地しています。この丘陵は、春木川右岸に形成された独立丘陵で、その上面は南北約650m、東西約500mを測ります。丘陵の北側はなだらかに傾斜し、南側は春木川に面し急な斜面となっています。現在この丘陵上で10基の古墳の存在が確認され、久米田古墳群が形成されていますが、もとは10数基の古墳からなっていたと推測されています。
1.貝吹山古墳(かいぶきやまこふん)
市指定史跡である貝吹山古墳[池尻町]は、久米田古墳群中最大の前方後円墳で、全長は約130mあります。出土(しゅつど)した遺物から4世紀中頃に築造されたと考えられています。
発掘調査の結果、残念ながら埋葬施設は中世に盗掘(とうくつ)を受け、破壊されていたことがわかりました。しかし、香川県の火山石製の石棺(せっかん)破片や、碧玉製腕飾(へきぎょくせいわんしょく)類や銅鏃(どうぞく)などが出土しています。
また、戦国時代におこった久米田合戦では、三好実休(みよしじっきゅう)が、この古墳に陣城(じんじろ)を築き戦ったことが知られています。
2.風吹山古墳(かぜふきやまこふん)
市指定史跡である風吹山古墳[池尻町]は全長71mあり、5世紀初頭に築造されたと考えられています。古墳の形を上から見ると帆立貝の形に似ているため、帆立貝形(ほたてがいがた)古墳に分類されます。形状などから円墳部(えんふんぶ)の南東側に方形(ほうけい)の造出部(つくりだしぶ)をつけた帆立貝形古墳であることが確認されていましたが、さらに平成5(1993)年の第2次調査の際に、円墳部の南西側にもう一つ小さな造出部をもつ特異(とくい)な形の古墳であることが確認されました。当初は、小型の造出部をもつ円墳として築かれましたが、後に大型の造出部分をもつ帆立貝形に改築されたことがわかる珍しい例です。古墳の規模や形状は被葬者の地位を表していますから、墳墓(ふんぼ)の築造期間中に被葬者の地位の上昇がうかがえる点でも貴重な事例といえます。
墳頂部(ふんちょうぶ)で2基の埋葬施設が検出(けんしゅつ)され、北棺(きたかん)から青銅鏡(せいどうきょう)、鉄刀(てっとう)、鉄剣(てっけん)、ヒスイ製勾玉(まがたま)、碧玉(へきぎょく)製勾玉、管玉(くだたま)、数千点におよぶガラス製の玉類、銀製の玉、漆(うるし)塗りの櫛(くし)などたくさんの副葬品が出土しています。南棺(みなみかん)はほとんど失われていましたが、鉄製の甲冑(かっちゅう)、鉄刀などが出土しています。これらの副葬品などから風吹山古墳は5世紀前半のごく早い時期の築造と推定されています。被葬者は、4世紀後半頃の国指定史跡摩湯山古墳[摩湯町]、貝吹山古墳の被葬者に続いて、和泉中部地域を支配した豪族であると推測できます。
3.無名塚古墳(むめいづかこふん)
市指定史跡である無名塚古墳[池尻町]は、径約26mの円墳です。5世紀初頭に築造されたと考えられています。墳丘(ふんきゅう)には埴輪(はにわ)が一周するように並んでおり、また、周濠(しゅうごう)があったことが発掘調査により明らかになりました。出土した埴輪は円筒(えんとう)埴輪で、隣接する風吹山古墳[池尻町]のものとほぼ同時期のものです。
4.持ノ木古墳(もちのきこふん)
持ノ木古墳[池尻町]は一辺約12mの方墳(ほうふん)です。平成4(1992)年の発掘調査によって新たに発見された古墳で、5世紀初頭に築造されたと考えられています。周濠から発見された土器は、日本列島で出土しているどの須恵器(すえき)よりも古い形態で、朝鮮半島南部の地域で出土する陶質(とうしつ)土器に似ていることから、その生産地をめぐってさまざまな説が出されています。現在古墳は、埋め戻されています。
交通 JR阪和線久米田駅下車徒歩14分