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燈誉良然(とうよりょうねん)1472~1559

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

 燈誉は、戦国時代に泉州各地に数多くの浄土宗寺院を建立または中興した僧侶です。出身地は伊勢国山田といわれ、誕生の時、母が胎児を宿したまま亡くなり、周りの人々が鎌で母胎を切って無事に生まれましたが、額に鎌の傷が残り、「鎌上人」と呼ばれた、という逸話があります。
 燈誉は、下総国(現、茨城県)や三河国(現、愛知県)で修行した後に堺に来、その後亡くなる直前までの約50年間を泉州ですごしました。この間、西福寺(春木本町)、極楽寺(極楽寺町)、転法輪寺(大沢町)など多くの寺院を泉州各地に建立・中興して浄土宗を広め、また、天文13(1544)年には総本山知恩院の住職に就任し、教団のトップに立った高僧でした。
 一方、燈誉は和歌を好み、西福寺に伝わる自筆歌集『朽木集』には燈誉が生涯に詠んだ和歌2550首が載せられています。燈誉は、和歌を通じて当時の一流歌人である三条西実隆(さんじょうにしさねたか)や牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)らとも交流をもち、泉州に長く住みながらも公家社会とも関わり続けた僧侶でした。

燈誉良然像の写真「燈誉良然像」(西福寺)

燈誉上人絵伝の写真「燈誉上人絵伝」(極楽寺)


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