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報道発表  岸和田製鉄砲を初公開

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2011年3月3日掲載

概要

 昨年11月、岸和田で作られた鉄砲(火縄銃)が初めて発見されたことが報道されました。このたび、岸和田城で岸和田製鉄砲を展示し初めて一般に公開します。

詳細

 3月9日(水曜日)から5月8日(日曜日)まで岸和田城天守閣で企画展「工芸の美―甲冑・刀剣・馬具―」を開催するとともに、特別陳列「新発見!岸和田の鉄砲」と題して昨年発見された岸和田製鉄砲(火縄銃 堺鉄砲研究会澤田平氏所蔵)を展示します。 

 鉄砲銃身には「泉岸住佐藤義定作」と岸和田に在住した鉄砲鍛冶の作銘が刻まれています。作者の佐藤義定は、「佐藤文吉郎義定」とも名乗った幕末頃の鉄砲鍛冶であったことが知られており、明治元(1868)年10月に岸和田藩士によって暗殺された鉄砲師佐藤文吉本人の可能性が高いと考えられます。 

 鉄砲師文吉殺害事件は明治初期の岸和田藩お家騒動とも関わり、一時藩政の実権を掌握した義党派が失脚するきっかけとなった事件で、明治初期岸和田藩政史上の重大な事件でした。藩から西洋式短銃の納入を命じられた文吉は、長銃の銃身を切り縮めただけの粗悪品を納入し、それを知った義党派藩士は文吉を問いただし、不正を認めた文吉を殺害しました。遺体は城下はずれの三昧堂(火葬場)で焼き、事件を隠蔽しようとしましたが、文吉の弟子の訴えによって後日新政府の知るところとなり、また義党派が犯した他の事件も露見し、明治3年7月、主だった義党派藩士たちが禁錮等の刑に処せられました。

 岸和田城下には「鉄砲町」「鍛冶屋町」の古地名があり、文吉殺害事件などから鉄砲鍛冶が住んでいたことは以前から知られていましたが、岸和田の鉄砲鍛冶が製造した鉄砲の実物は今回初めて見つかりました。岸和田の明治維新史を物語る資料でもあることから、今回初公開します。

  • 会期  3月9日(水曜日)から5月8日(日曜日)まで
  • 会場  岸和田城天守閣2階展示室
  • 時間  10時から17時まで(入場は16時まで)※4月1日から4月1日5は20時まで
  • 入場料 大人300円 中学生以下無料
  • 休場日 月曜日 但し3月21日・4月4日・4月11日は開場します

 

本件に関する問合せ先

岸和田市教育委員会郷土文化室 電話:072-423-9689

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