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相馬九方(そうまきゅうほう) 1802~1879

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

 相馬九方は、讃岐高松に生まれ、中山城山に徂徠学を学んだ後、京都で学問修行を重ねました。嘉永4(1851)年、京都の蘭医新宮涼庭の推挙によって岸和田藩藩校講習館の教官となりました。彼が初めて岸和田に来て元藩主長慎に面会した時、長慎より「人を知らざるを憂う」と認めた書を下されました。「これまで貴方のような素晴らしい人物を知らなかったことが残念でならない」との意味です。
 ペリー来航後の騒然とした政情の中で、九方は講習館において多くの人材を育てるとともに、藩政にかかわる意見も求められるなど、次第に藩政に深く関与するようになりました。そうした彼の立場から藩主後継者をめぐるお家騒動に巻き込まれ、一時投獄されるという憂き目にもあっています。幕末の激動する時代にあって、吉田松陰が彼の意見を聞くために岸和田を訪れ、講習館の一室で囲炉裏をかこみ徹夜で議論を交わしたこともありました。なお、講習館は北町の現在の中央保育所付近にありました。

相馬九方像の写真「相馬九方像」(西宮市 相馬達雄氏蔵)

相馬九方書跡の写真「相馬九方書跡」(相馬達雄氏蔵)


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