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白河上皇(しらかわじょうこう)1053~1129
院政を開始した上皇として知られる白河上皇は、生涯に九回、熊野参詣に出かけています。当時の熊野参詣のルートは、淀川を船で大阪まで下り、大阪からほぼ今のJR阪和線に沿った熊野街道を通って紀州へ向かいました。途中、王子と呼ばれる熊野権現の分身が祀られた場所がいくつもあり、各王子を参拝しながら遠い熊野の地を目指しました。
このように、白河上皇が岸和田市内を通過したことは確かで、小松里町額に今もある積川(つがわ)神社の遥拝鳥居のあたりで、芝草の舞台を作って舞楽を奉納した際に、上皇が鳥居の額の字を書いたという伝説が残っています。この額は今も積川神社の社宝として伝わり、大阪府の有形文化財に指定されています。
小松里町額の鳥居
積川神社所蔵「木造扁額」