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坂口平三郎(さかぐちへいざぶろう)1861~1897

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

 坂口平三郎は、土生新田(現、土生町)の農家に生まれ、生涯をタマネギ栽培の実験に費やした、泉州タマネギの祖とも言うべき人物です。
 平三郎は、若い頃から堺県(後、大阪府)勧業委員となり、自宅の近くに農業試験場を作り、商品作物の改良などを研究していました。明治12年、平三郎は神戸の西洋料理店でビーフステーキに添えられたタマネギを初めて食し、将来、日本人も西洋料理を食べるようになると見込んだ平三郎は、居留地のアメリカ人からタマネギ3個を分けてもらい、その栽培実験を開始しました。苦心の末にタマネギの採種・栽培に成功し、希望する農家にタマネギの種子を無料で配布して栽培を奨励しました。日清戦争後には泉州タマネギの輸出も本格化し、作付面積も拡大して泉州特産品として定着しましたが、平三郎は37歳の若さで世を去りました。

坂口平三郎肖像写真「坂口平三郎肖像写真」

顕彰碑の写真顕彰碑(土生町)


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