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岸和田のむかし話9 白井又兵衛の娘(春木)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

文 中野光風

 慶長のころ、春木村の大百姓・白井又兵衛の娘おもえはちっちゃな時分から浜で泳ぎまわってばかりいた。
 「女にゃ似げないこっちゃ、第一危(あむ)ない」
親類どもは顔をしかめたが、
「何があむないんなぇ。好きでやってる事やないかぇ」
親の又兵衛は、一向に平気だった。
年頃になったおもえは、のぞまれて忠岡の地主・甲兵衛(こうべえ)の許(もと)に嫁(とつ)いだが、この男は毎日親爺どのの言いなりになってばかりで、サッパリしっかりめの見えぬ亭主だった。
「男ちゅうもんは日頃ボサッとしてても、サアという時には、キラッと光るもんや」
おもえは半歳もたたぬうちに見切りをつけて、さっさと春木へ帰ってしまった。又兵衛は、この時も文句一つ言わなかった。
大阪城内の女官長(にょかんちょう)・大蔵卿(おおくらきょう)の局(つぼね)と親の又兵衛は知り合いの仲だったから、このあともおもえは城へ入り、「幾瀬(いくせ)」ときには「白井(しらい)」と呼ばれて腰元づとめをするようになった。

白井又兵衛の娘の挿絵

 折しも、大阪夏の陣である。
20万を越す関東の兵に包囲され、たちまち城内力尽きて本丸御殿も煙に包まれた。おもえは下働きの女おあちゃと2人で台所の大廊下を走りすぎようとした時、めざとく千成瓢箪(せんなりびょうたん)の御馬じるしを見つけた。泥にまみれて通路の片すみに投げ捨てられていたのだ。
「お待ち」
と、おもえはいった。2人してそれを抱き上げ、壁ぎわに立てかけて立ち去ろうとしたが、思いかえして力まかせに瓢箪をもぎとり、ばれんをちぎりとっては火の中へ投げ捨てた。太閤遺愛の品が敵方の手に渡ってはずかしめられることを懸念(けねん)したのである。
「よくぞ心付いた、白井」
大蔵卿の局は、涙をこぼしてこれを喜び、すぐさま女たちに暇(いとま)をとらせて退去を命じた。
おあちゃとも別れてひとりになったおもえは、スラリと衣服を脱ぎ捨てて二布(ふたの)(腰巻き)1枚の裸になった。別れに際して拝領した淀殿(よどどの)の化粧道具―金の黒骨の扇子、べっ甲の板に虎の毛をビッシリ植えた櫛はらいを髷(まげ)のもとどり深くへ差し込むと、白い両の乳房もあらわにザンブと堀に身を踊らせた。
 その後おもえは自在に水門をくぐり抜け、大川を泳ぎ下ってまんまと藤堂泉州(和泉守高虎)の陣前に浮かび出、無事に春木へ帰りつくことが出来た。
 ―よくぞ心付いた―
大蔵卿のねぎらいの言葉を、年老いてもおもえはことあるごとに里の者へ語り聞かせた。淀殿の形見の2品は、幕末の頃まで大事に持ち伝えていたが、いつしか失われ―又兵衛直系の末裔(まつえい)たちも戦後屋敷を手放して、今はもう春木にはいない。

〔かりそめの ひとりごと〕

 ―略―
 夏御陣(なつのごじん)に城内ちからきはまり、本丸につほみてみなみな生害(しょうがい)期(ご)にいたり、かねての水練ここにてこそとおもひ、(おもえは)髪をかぶり衣(ころも)を脱ぎすて、堀に飛びいり水門より出(いで)て、みなそこをくぐり大川を流れくだりて、藤堂泉州の陣前(じんぜん)にぞ、うかみ出(いで)たる。
 兵士あやしみとらへてそのゆへをとふに、しかしかのよしをまうし、春木村にかへし給へかしとねがふさま、いつわらざる趣(おもむき)なればゆるしをえて、おりふし川尻につなぎし春木村の船にたよりて、ふたたび、ふるさとにかへりける。
 この時に淀どのにもらひたりし、金の黒骨の扇子とべっこうの板に虎の毛をひしとうへし、くしはらひとを、もとどりのもとにおしかふてかへりしが、今もこの家(や)にもちつたへたり。
 わも、こぞの秋みつ、よくこころたけき女なりしにこそ。
―略―

〔中盛彬(もりしげ)「拾遺泉州志」所蔵〕


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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