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岸和田のむかし話7 牛滝川周辺の話・(9)岡山御堂(岡山)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

 文亀(ぶんき)2年、山直郷(やまだいごう)に祐善(ゆうぜん)及び顔了(がんりょう)という2人のお坊さんがいて、真宗の門跡(もんぜき)である寛如上人(かんにょしょうにん)に帰依(きえ)し、立派なお寺を建てました。
 その後、親鸞上人(しんらんしょうにん)の影像を安置し、伽藍(がらん)も整備され、岡山御坊(ごぼう)とも岡山別院とも呼ばれ多くの人々の尊崇(そんすう)を集めました。ところが、久米田合戦の際、畠山高政のために火を放たれ、お寺はことごとく灰燼(かいじん)に帰(き)してしまいました。
 後世一旦(いったん)は再建されたものの、石山合戦の時またしても戦火を浴びて焼失し、もはや再建されることはありませんでした。
 しかし、付近の八か村の人々は深く真宗に帰依(きえ)し、毎年岡山講と称して報恩講をもよおし、今日にいたっています。
 積川(つがわ)町橋室(はしむろ)の堂(どう)が峰(みね)に、元旦の朝、金の鶏(とり)が鳴くという伝承がありますが、岡山御堂が戦乱の渦中(かちゅう)にあった時、戦火を避(さ)けて寺宝(じほう)を積川の山に埋(う)めたのがそのように伝わっているのではないかと言われています。


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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