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岸和田のむかし話7 牛滝川周辺の話・(5)積川大明神の勅額(積川)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載
 積川(つがわ)神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、生井(いくい)の神・栄井(さくい)の神・綱長井(つなながい)の神・阿須波(あすは)の神・波比岐(はひき)の神(皇居内にも祭祀(さいし)されている)の五神を主神としています。和泉五社の一つで社域は今でも1,625坪の広さがあります。牛滝街道に面して一段の高所を占め、古木林然(りんぜん)とした中に重要文化財の本殿・拝殿・神撰所(しんせんじょ)・神輿庫(みこしぐら)・社務所が現存します。 
 本殿の創建年代は詳(つまびら)かではありませんが、慶長(けいちょう)7年、豊臣秀頼の手で修補されたという記録が残っていますし、淀君お手植えの松の木もあったと伝えられています。この松は昭和45年ごろ、台風やマツクイムシにやられて、跡を留(とど)めておりません。しかし、淀君奉納と伝えられるお神輿(みこし)は今も所蔵されています。
 むかし、白河法皇の行列が熊野道を通りかかった時のことです。積川神社を遥拝(ようはい)するために建てられている鳥居の扁額(へんがく)の文字が余りにもみすぼらしいので、取り外(はず)そうとしていると、にわかに雷鳴が轟(とどろ)き、川は吠(ほ)え、天も地も激しく揺れ動きました。
 「これはもったいないことをした。あらためて私の手で書き直し、奉献(ほうけん)することにしよう」
 法皇が近くの小屋に雨を避(さ)け、墨痕(ぼつこん)鮮(あざ)やかに、
 「正一位積川大明神」
 と書き、額を鳥居に掲(かか)げるとたちまち暴風雨(あらし)おさまりました。それ
以来この地を額原と呼ぶようになりました。
 現在この額は、社宝として、本殿の奥深く大切に保管されています。

※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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