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岸和田のむかし話6 轟川・天の川周辺の話・(9)二百石の命(春木)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

 昔の春木にはおもしろい人の話がたくさん残っている。その一つ―
 白井兵助(しらいひょうすけ)は春木の白井又兵衛(またべえ)の親類で、もとは肥後(ひご)の殿様(とのさま)に仕える武士だった。
 ある時、殿様は大勢のお供(とも)を連れて、船遊(ふなあそ)びに興(きょう)じておられた。酒宴(しゅえん)もまさにたけなわとなった頃、突然風が吹き出して、船がぐらっと傾(かたむ)いた。そのひょうしに、舟べりにおられた殿様はあっという間もなく海に落ちてしまった。
 「あっ、殿が、殿が・・・」
 家来たちは慌(あわ)てて、ただあれよあれよと騒ぐばかりだったが、これを見た兵助は着物も脱(ぬ)がずに飛(と)び込むがはやいか、抜き手をきって殿に近付き、みごとに船へ助け上げた。

二百石の命の挿絵

 周(まわ)りのものははじめて我にかえったように殿の濡(ぬ)れた着物を脱(ぬ)がせるやら体を拭(ふ)くやら温めるやら大騒ぎ。兵助のことなどすっかり忘れているようだった。
 翌日、殿様は兵助を呼び出され、
 「兵助、このたびの働きあっぱれである。我が命助けてくれた礼として、二百石を加増してつかわす」
 とのお言葉をいただいた。戦場ばたらきでもない限り、めったに加増などされることはないので、兵助喜ぶかと思いきや、
 「ご加増は有難いが、我が君のお命救った礼がたった二百石とは何事ぞ。殿のお命は、それだけの値打(ねう)ちしかないということか。そんな安っぽい殿様なら、お仕えする甲斐(かい)もないわ」
 と苦々(にがにが)しげに言い放ったものである。
 これには周りの者たち肝(きも)をつぶして、
 「こ、これ、兵助、無礼(ぶれい)であろう」
 「お礼じゃ、早くお礼を・・・」
 「それよりもお詫びじゃ、お詫び。このままではあい済まぬぞ!」
 口々にがなりたてたが、兵助平然として、
 「拙者(せっしゃ)、ただ今かぎり、武士をやめもうす」
 さっさとお城をさがってしまった。
 その後兵助は春木村で百姓をして一生を終わったといわれるが、戦国末期(せんごくまっき)にはこんな小気味(こきみ)のいい男もいたのだ。


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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