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岸和田のむかし話5 津田川・城下周辺の話・(9)本徳寺の光秀像(五軒屋)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

 本徳寺は鳳凰(ほうおう)山と号し、臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺の末寺で、本尊は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)です。
 この寺をはじめて開いた南国和尚(なんごくおしょう)は明智光秀の実子です。光秀は本能寺に主人織田信長を襲い、一旦は念願の天下を手中におさめたものの、秀吉の素早(すばや)い反撃に遇(あ)って一敗地にまみれ、野望空(むな)しく果てました。その子はひとり落ち延びて、京都の妙心寺(みょうしんじ)を頼り、僧となりました。
 後、貝塚の鳥羽(とば)村の海雲寺に入り、ここで父光秀の肖像を写し、位牌(いはい)をたてて供養しました。ところが、何せ戦乱の世のこと、兵火に焼かれて、小精舎(こしょうじゃ)となっていたのを、その後現在の岸和田に移転して、本徳寺としたものです。
 代々光秀の剣と茶壷(ちゃつぼ)を持ち伝えてきましたが、今はなく、わずかに光秀および南国和尚の肖像を所蔵しているにとどまります。
 しかし、お主殺(しゅごろ)しの汚名(おめい)を長く拭(ぬぐ)えなかった光秀であったため、その肖像といえば、この寺の他(ほか)には全国何処(どこ)にもないと言われ、各地から見学に訪れる者多く、大変貴重な史料となっています。


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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