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岸和田のむかし話5 津田川・城下周辺の話・(2)捕鳥部萬の怒り(八田)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

捕鳥部萬の怒りの挿絵

―愛犬シロは主人の首を守って果てた―

 飛鳥(あすか)で勢ぞろえした蘇我馬子(そがのうまこ)らの軍勢は、闇にまぎれて大和の尾根を越え、いきなり物部守屋(もののべのもりや)のとりでをおそった。
 おびただしい矢影がしののめの空をおおい、たちまち河内(かわち)の野辺(のべ)と石川の河原(かわら)は、赤く血ぬられたという。6世紀も末の587年、田の稲穂がようやく黄金(こがね)色に色づいた秋の日のことだった。

 ―その軍(いくさ)、ことのほか強(こわ)く、盛(さかり)にして―

 と、うたわれた大連(むらじ)・守屋の兵士たちは、勇戦の果てにすべて傷つきたおれたが、100人隊長が1人のこった。難波(なにわ)のやかたを守る資人(つかいびと)・捕鳥部萬である。鳥飼部(とりかいべ)と同じ部民の伜(せがれ)だが、勇士として広くその名を知られていた。
 「これまでだ……、みな故里(くに)へ帰れ!」
 萬(よろず)は部下を解き放ったあと、1人騎乗して茅渟県(ちぬのあがた)・有真香邑(ありまかむら)(現八田町(はったちょう))に向かった。婦(おんな)がいたからである。

 やさしい、たおやかな婦(おんな)と別れの一夜を過ごした彼は、明け方1人丘(やま)に入った。
 「迎えて討つ。俺は此所(ここ)にいると、皆にそう言ってくれ」
 泣き哭(な)き婦(おんな)は、そうした。
「逆臣を逃(のが)すな!」
 河内(当時、和泉は河内国内)の国司(くにつかさ)は、数百の衛士(えじ)をつかわして、いら草の生(お)い茂る丘(やま)を囲んだ。
 蘇我(そが)の手の者ではない。国軍の兵士たちは、うむをいわさず雄たけびをあげて殺到して来た。

 ―萬(よろず)、すなわち矢を放つ。一つとして中(あた)らざるなし―

 と、書記(崇峻2年)にある。愛犬シロとともに縦横にかけ回り、満身に傷を負った萬は弓を三段(みきだ)に折り、火のような赤い口をあけて叫んだ。
 「おのれら、よう聞け!俺は大連(おおむらじ)の従者として今まで、帝(みかど)のためには身を粉(こ)にして働いて来たのだ!それを、悪臣(あくしん)・逆臣(ぎゃくしん)とは何だ!誰が逆臣だ!!」
 100人隊長はみずからその首を刺し、息絶えた。
 官(政府)は符(ふみ)を下して萬の屍(かばね)を八段(やきだ)に斬り、八つの国にさらしたが、話はこれだけで終わらない。
 愛犬シロが主人の死後もさらし場から離れず、ついにその首をくわえて古塚(ふるづか)に収め、傍(かたわ)らに臥(ふ)せったまま飢(う)えて死んだ―いわゆる義犬譚(ぎけんたん)が続く。
 官は再び符(ふみ)を下してこれをいとおしみ、萬(よろず)の屍体(したい)を集め葬(ほうむ)ることを命じた。かつて彼の愛した婦(おんな)と村の者たちは、もくもくと萬(よろず)とシロの墓をならべ造ったという。
「何が逆臣だ!」
 萬(よろず)の臨終(いまわ)の叫びは、今も消えない。新たな符(ふみ)で、たちまちその処遇を変えた官人たちの日和見(ひよりみ)をあざ笑うかのように、二つの墓は元有真香邑(もとありまかむら)大山の丘上、生い茂る潅木(かんぼく)の樹下(こした)かげで、今もなおしずかに眠りつづけている。

言葉の説明

  • 大連(おおむらじ)…大和朝廷の政府高官。連(むらじ)の姓を持つ諸氏の中で、最有力者が役目についた。
  • 資人(つかいびと)…官位の高い人の警護や雑役をする人。
  • 部民(べみん)…大化改新前、朝廷や豪族につかえた使用人(けらい)の総称。
  • 国司(くにつかさ)…地方をおさめる長官。
  • 衛士(えじ)…宮城などを守る兵士。

「広報きしわだ」掲載


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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