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岸和田のむかし話5 津田川・城下周辺の話・(11)チヌの海(浜)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載
 日本書紀によれば、神武(じんむ)天皇率いる東征の大船団は、瀬戸内の海を進んで難波(なにわ)の浜に上陸し、生駒山を踏破(とうは)して大和へ入ろうとしたところ、強力なナガスネヒコの軍勢に行く手を阻(はば)まれ、激しい戦いとなりました。この時、天皇の兄五瀬命(いつせのみこと)が敵の流れ矢に腕を射抜(いぬ)かれ、重傷を負(お)うという不運に見舞われました。天皇は、
 「われ等は日の神の子孫である。日に向かって進み、戦ったのでは勝てる道理がない。いったん退(しりぞ)いて、軍をたてなおさねばならぬ」
 と、兵を返し、海へ出て大阪湾を南下しました。
 その途中、五瀬命は矢傷の痛みにたえかねて、海水で傷口を洗われましたが、あまりの出血に海は赤く染まり、まるで血の沼のようになったので、この辺りの海を「血沼(ちぬ)―チヌの海」と呼ぶようになりました。
 また、命(みこと)は泉南の浜辺に上陸し、志半(なか)ばにして敵の矢に倒れた無念さに、喉(のど)も裂けよとばかり雄叫(おたけ)びの声をあげられました。以後、この地を「雄水門(おのみなと)」と呼ぶようになりました。
 神武天皇は五瀬命の死をいたみつつ、船団を進めて熊野から大和へ向かい、ヤタガラスや金のトビの援(たす)けを得て、ついにナガスネヒコの軍を破り、橿原(かしわら)の地で即位(そくい)され、第1代の天皇となられました。
 
 

 


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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