ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織でさがす > 広報広聴課 > 岸和田のむかし話4 岸和田の「むかしばなし」と、その分布

岸和田のむかし話4 岸和田の「むかしばなし」と、その分布

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

文 中野光風(日本文芸家協会会員)

 市域のあちこちに、古代・中古あるいは中世・近世のある時点から、ながながと語り継がれ書き継がれてきた「伝説」や「説話」のたぐいが、数多く残されている。
 イギリスのフォーク・テイル(folk tale)同様、説話はまた「民間伝承」「民話」とも呼ばれるが、この本では両者を合わせて「むかしばなし」とよんだ。
 伝説にしろ、民話にしろ、こうしたむかしばなしはもともと実際にあったと信じられる事がらについて語られたものだが、いつしか虚構化された「英雄譚(えいゆうたん)」「怪異・霊験譚(れいげんたん)」への道をたどる。
―語り手の個人的・社会的な要因―
なかでもその生い立ちや職業などによってさまざまに怪力乱心を語ったり、超常現象を述べたりしたのである。当時の世には、神道・仏教・陰陽(おんみょう)道・修験(しゅげん)道信仰がさかんだったから、これは当然のことといえるだろう。さらに歳時とともに、その内容も多様化した。
 中古から中世にかけては、時と所に拘(こだわ)らない世間話(今昔物語・宇治拾遺)や、空想的なお伽話(とぎばなし)(かちかち山・はちかつぎ姫)などがおびただしく登場し、その構成も主人公の行動を発端・展開・結末といった一代記風に組み立てた本格的なものから、軽い笑い話までさまざまである。
 本市域の3つの水系―「津田川水系」「轟(とどろき)川・天の川水系」「牛滝川水系」の周辺と海浜(市街地を含む)地帯にも、数多くの「むかしばなし」が語り継がれ、遠(とお)つ祖(おや)たちの息吹きやそのたたずまいを色濃く伝えている。

 轟川水系の頂点にたたずむ神於(こうの)山の「神於寺(こうのじ)縁起」と海浜の天性寺(てんしょうじ)に伝わる「蛸地蔵縁起」の二つは、彩色された美しい絵巻を持つ代表的な仏教伝説。「星になった未弥(みや)」は、主として久米田池の中樋(なかび)から流れ出る天の川に沿って語り継がれた七夕伝承である。
 布引(ぬのびき)山神於寺(こうのじ)縁起絵巻は上・下2巻に分かれ、上巻は7世紀の役行者(えんのぎょうじゃ)と宝勝権現(ほうしょうごんげん)の草創説話を中心に展開し、下巻は光忍上人(こうにんしょうにん)の中興を軸に弘法大師の来遊を説いて終わる。
 8世紀に入り、久米田池の完成とともに開けた天の川周辺には、織女星を崇(あが)める七夕社と彦星を讃える犬飼社が祀(まつ)られていた。が、中世末に七夕社が溜池の底に沈み、明治年代犬飼社が夜疑(やぎ)神社に合祀された後、この伝承は急速に衰えた。「星になった未弥」は、中世から伝わる七夕伝承のタブーを尊重しつつ、本市域発展の願いを込めて、この春あらたに再話したものである。
 護持山・朝光院天性寺の「蛸地蔵縁起絵巻」(正副2巻)は、天正年中(1573~1591)岸和田城を包囲した紀州の根来(ねごろ)雑賀(さいが)勢を相手とする合戦譚(たん)が中核だが、すざまじいこの合戦を通して檀信徒たちは、ひたすら霊験(れいげん)あらたかな地蔵尊の功徳(くどく)を讃えようとする。
 さらに著名な伝承が一つ-
 いささか時代は前後するが、6世紀の末葉587年の秋。蘇我(そが)の手で亡ぼされた物部(もののべ)の百人隊長のひとり、捕鳥部萬(ととりべのよろず)が故地(こち)に逃(のが)れて妻に別れを告げたあと、単身国軍の兵士と戦ったあげく、刀子(かたな)で己が首を刺し貫いて果てた。「日本書紀・初瀬部(はつせべの)(崇峻)天皇(すめらみこと)2年の条(くだり)」にも記載された、もと有真香(ありまか)村(現 八田(はった)町)に伝えられる英雄譚だ。が、たとえ「書紀」に記されようと記されまいと、捕鳥部の一族は萬の屍(しかばね)を八段(やきだ)に斬って8か国に散梟(さんきょう)した非情な官を恨み、妻の家族たちも勇士萬の死を悲しんでひそやかに、またながながと語り継いだことだろう。

 このほか、高僧・仙人・健気(けなげ)な娘など出色な人物以外に-蛇・犬・狐・狸・石・橋・池などをモチーフにした話が、各水系に散らばっている。

◆津田川・城下周辺

  • 神於寺(こうのじ)縁起絵巻(神於)
  • 蛸地蔵のはなし(南)
  • 神於の蛇嫁(白原)
  • 捕鳥部萬(ととりべのよろず)の怒り(八田)
  • 弁財天の松(本町)
  • 八大竜王と石の宝殿(塔原(とのはら))
  • 鍋山の指石(河合)
  • 雨降りの滝(土生滝(はぶたき))
  • 十輪寺のお徳石(野田)
  • 軽業師と山伏と医者(南)
  • 本徳寺の光秀像(五軒屋)
  • 戻り湯(浜)
  • チヌの海(浜)
  • だんじり吉兵衛(並松(なんまつ))
  • 諸井堰(もろいぜき)(河合)
  • 島田の森(上町)
  • こなから坂(岸城(きしき))
  • 袖取坂(畑)
  • 行遇堂(ゆきあいどう)(神須屋(こうずや))など―

◆轟川・天の川周辺

  • 星になった未弥(みや)(箕土路(みどろ))
  • 夜泣き石(作才)
  • 久米田の古戦場(額原)
  • 夜疑(やぎ)神社と唐臼(からうす)(中井)
  • 荒木村の由来(荒木)
  • 掃守(かもり)の連(加守)
  • 念佛寺(加守)
  • 兵主(ひょうず)神社の絵馬と蛇淵(西之内)
  • 西福寺の鎌上人(春木)
  • 二百石の命(春木)
  • 礼拝(ぬか)塚(春木)
  • 和泉式部ゆかりの地名(上松(かんまつ)・作才)
  • 八木の村名を続けた俚謡(りよう)
  • 久米田付近の村名をよんだ俚謡
  • 松村(上松・下松(しもまつ))
  • 白井又兵衛の娘(春木)
  • つきのしずく(尾生(おぶ))など―

◆牛滝川周辺

  • 葛城仙人(大沢)
  • 乙御前(おとごぜ)は嘆く(田治米(たじめ))
  • 酢壷池(岡山)
  • 牛滝山(大沢)
  • 積川(つがわ)大明神の勅額(ちょくがく)(積川)
  • 雷石(稲葉)
  • 麻福田麿(まふくだまろ)の恋(稲葉)
  • 火消し地蔵(池尻)
  • 岡山御堂(岡山)
  • 円勝寺の狐(大町)
  • 摩湯(摩湯)
  • へっつい片(がた)(内畑)
  • 田治米の古名(田治米)
  • 昔山(内畑)
  • 包近名(かねちかみょう)(包近)
  • 十兵衛坂(稲葉)
  • 桃と赤鬼(岡山・包近)など―

 戦国末からの近世の初・中期にかけて、泉州の各地に「泣き伝承」が残った。本市域にある作才の夜泣き石もその一つ。信長に持ち去られた堺妙国寺の蘇鉄(そてつ)が、故地(こち)を偲(しの)んで泣いたという伝承と、同質のものである。
 もともとこうした話は、不条理な強権への抵抗(あらがい)の意図を込めたものだが、近世の幕藩体制が強固なものとなるにつれて為政者の意向を憚(はばか)り、疳虫(かんむし)の子にその石のかけらや蘇鉄の葉を煎じて飲ませると夜泣きがなおるなど、埒(らち)もない話にすりかえられたりした。
 たしかに「むかしばなし」は、時代とともに変容する。が、そうであればあるほど、絶えずその初原的な姿をたずねることがまず問われよう。岸和田の遠(とお)つ祖(おや)たちは、眼(ま)のあたりにしたつどつどの出来事に胸躍らせ、また耳新しい今日的な話に、ひたすらな熱い思いを寄せ合って来たのだ。
 だから私たちも今一度、各水系に残された伝承を再吟味し、新鮮な想いをこめてさらに生き生きとした「むかしばなし」を書き継ぎ、語り継ぎたいと思うが―どうだろう。

岸和田の概略図


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

「岸和田のむかし話」一覧はこちら

「岸和田のむかし話5 津田川・城下周辺の話・(1)神於の蛇嫁(白原)」へ