ページの先頭です。 本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 総合政策部 > 広報広聴課 > 岸和田のむかし話3 蛸地蔵の話

本文

岸和田のむかし話3 蛸地蔵の話

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

文 藤田保平 (岸和田文化連絡協議会会長)

 さあ、それでは蛸地蔵(たこじぞう)さんのお話をさしてもらいましょうか。
 この天性寺(てんしょうじ)に、お祀(まつ)りされております地蔵菩薩(ぼさつ)。これが、どなたがお作りになったか判らんのです。判らんのですけれども、人の口によって伝えられるところによりますと、むかーしからこの土地におられまして、岸和田の地主神(じぬしがみ)やないかと、皆が言うてるわけですな。
 さ、そこで、昔はどうやったかと申しますと、宝塔(ほうとう)もあり、でーんとした大きなお堂も仰山(ぎょうさん)にあり、厳(おごそ)かな、その上に美(う)っつくしい、これ以上は、どないも手の入れようがない、また、他に比べようがないちゅうくらい立派なお寺にこのお地蔵さんがお祀(まつ)りされてたと言いますな。
 その場所はちゅうと、今のご城内じゃ、と伝えられております。

 ある時、賊軍がこのお寺に乱入しましてな、陣屋(じんや)を構えて、好き勝手に坊さんを捕まえて、その坊さんに軍(いくさ)の仕事を無理矢理さしたり、金銅(こんどう)でこさえてある佛さんのお道具をくだいて、刀や鎗(やり)をこさえて、その上に、あろうことか、お地蔵さんを斧(おの)で叩(たた)き壊(こわ)そうとしましたんや。
 このお地蔵さん、ほんまは木ですんや。そやのに、なんぼ斧でぶっ叩いても、鉄や石より固(かと)うて、ちょっとも、傷もつきませんのや。
 さあ、そうなるとその賊共は怖(おと)ろしうなってって、
 「こんなもん、海へ放(ほか)してしまえ」
 て、海へ放(ほ)り込んでしもたんや。
 お地蔵さん、お気の毒に海の底へ沈められてしまわれたんです。

天性寺聖地蔵尊縁起挿絵1
 
 それから何年も何十年も経(た)って、そんな惨(むご)いことがあったのを、情けないことに誰一人知ってる者(もん)がおらんよになってしもたんや。
 それからまた、何年も何十年も経って、第95代、後醍醐天皇の時代て言いますさかい、
建武年間ということですな。楠木正成(くすのきまさしげ)が和泉国(いずみのくに)の守護(しゅご)に任じられて、その正成の代わりに、甥(おい)の和田和泉守(いずみのかみ)が、岸和田のお城に来ておられた頃のことですわ。
 或(あ)る日のこと、えらい風が強(つよ)なってきて、どーんどーんと大きな波が打ち寄せてって、さあ、その波がお城の中まで入ってくるかいなちゅうよになった、城の中も外も、みな、びっくりして、
 「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
 て、みな、山手の方へ逃げ出してしもたんや、そら、誰かて逃げるわなあ。
 ところが、その時に、法師の格好(かっこう)をしたものが、波に漂うように浮かんで、だんだんに近付いて来て、いよいよ、お城のねきまで来たなと思うと、今まで荒れ狂(くる)ちゃった波も風も、ぴたっと止(や)んで、さあっと静まってしもた。それどころか、今の今まで、波にさらわれそになっちゃった家まで、どっこも傷(いた)んでない。みな、
 「こら、どないなってんな、怪体(けったい)ななあ」
 ちゅうて走り寄ってって、またびっくりした。
 さっき、法師の格好やなあと思て見ちゃったのが、これが、それはそれは円満なお顔の、大きなお地蔵さんやったんや。そのお地蔵さんが、これまた、今まで見たこともないよな大きな蛸(たこ)に乗っておられる。廻りへ集まってきた人々が、思わず両手を合わせて、心から拝んだ、と言いますな。
 そのうちに、誰が言うともなしに、
 「むかし、このお城のとこに、大きな立派なお寺があって、そこには、そら有難いお地蔵さんが居(お) られたんや。
 そやけど、賊軍に海へ放りこまれて、それきりになってしもちゃった。ところが、この頃(ごろ)になって、ようやっと、この岸和田もお城が出来て、だんだんに繁昌してきだしたんで、またお地蔵さん、戻ってきてくれたんやろかい。嬉(うれ)しいことやないか」

天性寺聖地蔵尊縁起挿絵2

  それからそれへと聞き伝えた人々が、あっちからもこっちからもお詣(まい)りに集まって来て、大層な人出になったんやそうですわ。
 さあ、そうなってくると、殿さんもじっとしてはおれん。家来に命じて、城内の清潔な所を選んで、新しいお堂を建てて、そこへお地蔵さんをお祀(まつ)りしたんです。
 しかしやな、そうしてお祀(まつ)りしてみたものの、世の中はまだ戦乱の最中。夜といわず、昼といわず、殿さんの頭の中は戦(いくさ)のことばっかり。
 さあ、そないしてるうちに、拍子(ひょうし)の悪いことに心配が当たって、戦(いくさ)になってしもた。
 この戦(いくさ)、勝つにきまってりゃどうちゅうことはないんやけれど、もし、万が一にも、敵に攻め込まれて、城に火をかけられるよな事になると、勿体(もったい)ないことに、このお地蔵さんも燃やされてしまうやろ、そんな罰(ばち)当たりなこと出来んやないか。
 ほたらどないしよう。
 ええい、お地蔵さんをお守りするためや、お地蔵さん辛抱(しんぼ)してや、ちゅうて、お堀の泥の中へ埋(う)め隠(かく)しておしまいになったんや。
 それから後(のち)も、なかなかに世の中、治まらずに年月(としつき)が過ぎて行くんですけど、お地蔵さんをお堀の中から助け出すひともなしに、泥の中に埋められたまま、ただ歳月(さいげつ)だけが、むなしく移り変わって行くんです。
 そんなこんなのうちに、また何年も何十年も経っての天正(てんしょう)年間。
 松浦肥前守(ひぜんのかみ)が城主の時のこと、紀州の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)の軍勢が、突然に攻め寄せて来ましてな、わぁわぁ、わぁわぁの大乱戦になったんです。

天性寺聖地蔵尊縁起挿絵3

 お城の方もなかなかに厳重で、よう、守り防いで戦(たた)こうちゃったんやけど、敵の勢い物凄(ものすご)く、このままやったらお城が保(も)たん、と言うその時。一人の法師がどこからともなく現れて、何万という敵に飛びかかり、手に持った錫杖(しゃくじょう)をぶんぶんと振り廻して敵兵を薙(な)ぎ倒す、その勢いの凄(すさ)まじいこと。天が稲光(いなびかり)し、地が揺れ動くようやったそうな。
 いかな敵軍も、これには恐れをなして、一時(いちじ)は退くかと見えたんやけど、何んせ、多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)。力を盛り返してきて、
 「たかが1匹のたこ法師。攻め取れよ、逃(のが)すな、逃すな」
 と、口々に罵(ののし)って、法師めがけて取り囲み討ちかかって来よった。
 この時、俄(にわ)かに、ごうごうと海辺が大きな音を立てて、その海から何千何万という大蛸小蛸の大群が、口から墨を吹き出し吐きかけて、敵軍目がけて攻めかかるんや。
 忽(たちま)ちに、辺り一面、闇夜の如(ごと)くに真っ暗になってしもて、蛸の吹き出す毒気にむせたんかしらんけど、もんどり打って馬から落ちる奴(やつ)、そこらへひっくり返る奴と、ばたばたばたばたと倒れて、敵軍隊に負けてしもて引き上げたんや。
 さて、戦(いくさ)が終わって殿さんが、家来を集めて手柄のあった者(もん)に褒美(ほうび)をやる事になったんやけど、一番の手柄は、何ちゅてもあのたこ法師や。あの法師のお蔭(かげ)で勝つことが出来た。そのご恩に報いたい、どこに居られるのかと問うてみたんやけど、誰(だあ)れも知らんのや。
 あの働きは人間業(わざ)ではない、何とかお礼を申し上げたいと思いつつも、戦の疲れで寝てしもた殿さん。けど、その気持ちが通じたのか、その夜の夢に法師が現れて、
 「あんたは知らんやろけど、私はその昔、この土地を守るために海中から現れたものである。今でもその思いに変わりはない、そやさかいに今回も現れたんや。ほいで、大敵を防いだんやけれども、人を殺すちゅうことは本意(ほい)やないので、私の身内一族の蛸を使(つこ)うて、あんたに勝ちを取らしただけや」
 殿さん、夢から覚めて、まだ夜も明けてないのに、家来を呼び集めて、今の先(さき)の夢の話を言うて聞かしたもんやさかい、聞いた家来達、心の底から敬(うやま)いの気持ちになったんやそうですわ。
 それから幾日もせんうちに、夜になると、堀の中に何やら光るものが見えるちゅう噂(うわさ)話が、殿さんの耳に入ったんで、早速に堀の中をさらわしてみると、怪体(けったい)なもんが見つかりました、ちゅうんで上げてはみたけど、泥まみれで、何が何じゃら判らん。
 そこで、水をかけて、ささらでこすって洗(あろ)てみると、頭の丸い、長さ3尺程の、片膝(かたひざ)を曲げて片足を延ばし、左手に宝珠(ほうじゅ)を捧(ささ)げ、右手に6環(ろっかん)の錫杖(しゃくじょう)を持っておられるお地蔵さんや。殿さん、涙を流して喜び、その場にひれ伏して拝んだそうな。
 そうして、家来と相談して、
 「これは本当に良いご縁に会わしてもろうた。この地蔵菩薩が在(おわ)す限り、万民(ばんみん)共々、このお城は泰平が約束されたも同然じゃ」
 そう言うて、城内に別殿(べつでん)を造って、お地蔵さんを安置して、ひと7日の間、城門を開けて、城下の人々にもお詣りを許したんや。
 それから、まあ色々と、ご利益(りやく)を頂いたんやけど、文禄(ぶんろく)年間になって、お殿さんの国替えの時に、このお地蔵さんも、一緒にお連れしようやないかと寄り寄り相談してたんや、な。そうすると、或(あ)る晩、お地蔵さんが夢枕に立たれて、
 「私を連れて行くつもりやそうやけど、私は、この地にこそ因縁(いんねん)があるんで、ここを離れる  気はない。それでも強(た)ってというのなら、この錫杖を与えるよって、これを私と思(おも)て持って  行きなされ」
 殿さん、はっと目が覚めて、辺りを見廻すと、枕元(まくらもと)に6環の錫杖が置いてある。
 「ああ、勿体(もったい)ない、有難うございます。この錫杖、我が家(いえ)代々の宝物にします」
 ちゅうて、どこい行くにも持ち歩いちゃあったそうですわ。

天性寺聖地蔵尊縁起挿絵4

 それからまた何年かして、小出播磨守(こいではりまのかみ)が城主の時に、白法師の姿をしたものが、お城の周辺(あたり)に時々出るちゅうことで、道往(ゆ)く人々が、えらい恐(おと)ろしがってるちゅう噂が、お殿さんの耳に入った。
 そこで、家来達を集めて、これはどういうことであろうか、といろいろ評議したんやけど、誰(だあ)れも、白法師の正体が、お地蔵さんやと見抜けなんだんや。
 そこでお殿さんが、
 「これは、お地蔵さんが、前世(ぜんせ)からの因縁(いんねん)をもって、道往く人々にも、拝みやすくしてもらいたい、という大きなお慈悲やと考えられんか。
 しかし、そうやとすると、このお地蔵さんを城の外へ移さないかんことになるが・・・・・・」
 と、ここで思案に余ってしもたんやわ。
 この時、
 「私は、このお地蔵さんを、心から信仰している者でございます。
 この際、是非、私のお寺へお迎えを申したい。必ず、お地蔵さんのお心に添うように致します」
と、申し出た者が居った。それが、その当時の天性寺(てんしょうじ)の住職で、得誉泰山上人(とくよたいざんしょうにん)であったわけです。
お迎えさせて頂いたものの、このお地蔵さん、1000年もの昔から、数多(あまた)のご苦労をなされた尊像ですので、あっちこっちと傷(いた)んでおられる。
 これでは勿体(もったい)ないちゅうことで、京の都へお連れして、修復して差し上げねばと思うて、その用意をしていると、その夜に、長谷川勘左衛門という士(さむらい)の夢に、お地蔵さんが立たれて、
「天性寺の住職が、私を修復するために、京へ上(のぼ)ろうとしている。
 それは結構なことやけれども、私は都へは行きとうない。
 岸和田へ佛師を呼び寄せるように伝えてもらいたい」
 と、告げられたんや。
 長谷川氏は、そんな事ちょっとも知らんかったんやけど、こうして夢のお告げを頂いた上はと、夜の明けるのを待ちかねて、天性寺(てんしょうじ)へ来てみると、さあ、えらいこっちゃ。
 京都へ出発する準備で、みな忙しそうに働いている。こら早よ言わな、と早速に和尚(わじょう)に会うて、
 「これこれ、しかじか・・・・・・・・・」
と、夢のことを、お話しますと、和尚もびっくりして、それならと京都へお連れするのを取り止めにして、佛師を呼び寄せたのですなあ。
さて、佛師が到着して、修復のために、ご尊体を調べてみますちゅうと、鉄砲の玉が、いくつとも知れんくらいに見つかったんですわ。
その昔、蛸を引き連れて、岸和田を守るために戦(たた)こうたちゅうのは、唯の噂話やないていうことが、ハッキリと判って、改めて、このお地蔵さんの有難さに、両手を合わせたということです。
そして、この度(たび)の修復で、綺麗(きれい)に仕上げてしまうのは易(やす)いことではあるけれど、後(のち)の世の人達が、
「そんなことあるかえ。そら話だけのこっちゃ、誰ぞの作り話やろ」
と、疑いの心を持ったら勿体(もったい)ないことやと、わざわざ、鉄砲の傷あとを1か所だけ修復せずに残しておいた、と言われます。得誉泰山上人(とくよたいざんしょうにん)の心づかいにも、頭の下がる思いが致します。

 このような話を伝え聞いた数多くの人達が、遠くといわず、近くといわず、老人といわず、若者といわず、男といわず、女といわず、沢山の人達がお詣りをして、みな、各々がご利益(りやく)を蒙(こうむ)ったのでございます。

 仰ぐべし、信ずべし、嗚呼(ああ)、尊いかな、蛸地蔵の化主(けしゅ)、大薩 ・ 南無地蔵大菩薩(だいさつたなむじぞうだいぼさつ)。


※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

「岸和田のむかし話」一覧はこちら

「岸和田のむかし話4 岸和田の「むかしばなし」と、その分布」へ

Danjiri city kishiwada