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岸和田のむかし話・あとがき

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

 岸和田の野辺(のべ)と山裾(やますそ)で、農耕が始められた古代。神於山(こうのやま)は神の山―山そのものが、神だった。
 新羅(しらぎ)の水神「タカオガミ」「クラオガミ」の神名備(かんなび)として、崇め仰がれて来たのだ。
 3月24日。私たちは、その中腹にある布引山(ぬのびきさん)・神於寺(住職・藤枝徹海師)を訪れた。当山の開基は、宝勝化人(ほうしょうけにん)という。新羅の神人(じにん)である。
 伝来の中世風絵巻上下2巻は、ともに大和絵師の手になる彩色絵と詞書(ことばがき)が交互する構成だが、難解な仏教用語が頻(しき)りに顔を出し、たやすくは読み下せそうもない。
 だから、本誌の「神於寺縁起絵巻」の記述は、全文を現代口語に改め、直截(ちょくせつ)にその省略化・意訳化を図った。無論初めての試みである。
 この日の朝早く―私たちは、旧八木郷の総社・夜疑(やぎ)神社(原高幹宮司)をたずねた。
 犬飼社・七夕社を合祀した当社は、「天の川」水系にちらばる「七夕伝承」の拠点である。原宮司のほか、同席された宮座の一老西村好治氏から、同行事の現況を確かめた。「星になった未弥」の執筆者も、この神域で大いに想を深めることができた。

 4月28日。護持山(ごじさん)・朝光院天性寺(てんしょうじ)(住職・土井信演師)の山門をくぐり、「聖地蔵尊縁起絵巻」正副2巻を眼(ま)のあたりにした。天正年中に起きた岸和田城の攻防がクライマックスだが、中でも大手門で6環の錫杖(しゃくじょう)を振う大法師の合戦場面が圧巻(あっかん)だった。
 「蛸地蔵のはなし」は、詞書(ことばがき)をただ平易な文に改めただけではない。素ばなしの手法を用い、特定者の語り口で全文を統一記述してある。
 再び山門をぬけた私たちは、牛滝街道をさかのぼって、積川(つがわ)の古社(積川延雄宮司)をめざした。古代・中世・近世を通して、牛滝川周辺の生計(たつき)のさまを色濃く伝える延喜式内社(えんぎしきないしゃ)である。
 宮司は重要文化財の本殿を開扉され、さらには白川院の宸筆(しんぴつ)と伝えられる「勅額」ほか、数々の中世文書(もんじょ)・古(こ)地図まで、親しく提示して下さった。

 各水系に残された伝承の散らばりを中学校区ごとに確かめたり、特にドラマチックなものを選び出して再話を図(はか)ったりしたが、問題点が多く残された。「個性的な登場人物」「季節のうつろい」「主要な行事」の書き込みなど、一そうの工夫が問われるに違いない。
 まさに道通し―だが、「岸和田のむかし話」を愛される数多くの若々しい「読み手」「語り手」の登場を願って、私たちの仕事は、ひとまずこれで措(お)くことにしよう。

平成4年10月3日

編集委員長 中野光風

※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。

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