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松平康重(まつだいらやすしげ) 1568~1640
江戸初期の岸和田藩主です。本姓は松井氏。元和5(1619)年、豊臣家と関わり深い小出氏は但馬国出石(兵庫県出石郡出石町)へ転封となり、代わって丹波国篠山(兵庫県篠山市)から岸和田藩主として入封しました。初め、5万石でしたが、在任中に領地はそのままで、石高のみ1万石増やすことを認められ、6万石となりました。岸和田城下の防潮石垣を築くなど城郭整備を進めましたが、寛永17(1620)年、岸和田で亡くなりました。
その後、嫡男康映(やすてる)が跡を継ぎましたが、直後に播磨国山崎(兵庫県神崎郡福崎町)に転封となり、代わって岡部宣勝が高槻から岸和田へ移り、以後、岡部氏の統治が明治維新まで続きました。
松平康重像(京都市 長安院蔵)
中之浜町の防潮石垣