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岸和田治氏・定智・快智(きしわだはるうじ・じょうち・かいち) 生没年不詳(南北朝期)

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

 南北朝時代(14世紀)、岸和田地域を支配した武士団に岸和田氏一族がいました。延元2(1337)年、岸和田治氏・定智・快智がそれぞれ南朝軍に属し、各地の合戦で戦功をあげたことを自ら記した古文書が計6通残されています。これは軍忠状と呼ばれる文書で、いつ、どこで、どのような手柄をたてたのかを自己申告し、所属する軍隊の上官に提出したものです。ちなみに、これらの古文書が「岸和田」という語が登場する最も古い史料です。その意味では「岸和田」の歴史は彼らから始まったと言ってもいいでしょう。
 治氏・定智・快智の3人は具体的に親子なのか兄弟なのかわかりませんが、一族であったことは間違いなく、有名な湊川合戦や、京都・南河内・泉州各地の合戦に南朝方として共に加わり、北朝(幕府)方の軍勢と戦っていました。岸和田市域では、八木城(現、大町付近)に篭城して幕府の大軍と戦っていたことなどが、岸和田氏の軍忠状に記されています。

岸和田市の軍忠状の写真岸和田氏の軍忠状(奈良市 池田宏氏)


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