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風物百選 72 くさぶきの家

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

くさぶきの家の染色染色 吉田太郎

岸和田の民家

 庶民が住んでいる家はすべて「民家」に違いないが、ここでは次の二つの条件の下での狭義の「民家」をとり上げた。
 一つには、その地方にある土、木、草などを主な素材として建築され、地方独特の様式を備えた住居。二つには、建立されてから100年以上を経て創建当時の様式を失わず、少しは改造されていても基本の様式を損なっていない家屋。
 今日、日本各地の民家を訪ねて見ると、そうした条件を備えている民家は各地方にまだまだ多く残ってはいるが、水道・ガスなどの普及、交通の発達、素材の多様化、維持のための経済的重圧等々によって年々、姿を消しているのが実情である。
 岸和田では、山間部と平野部とでは少しずつ様式の違いを見せてはいるが、それでも100年以上経った堂々とした「民家」がまだ何軒か残されている。
 その中で私がスケッチさせてもらった「民家」を挙げて見ると

  1. 塔原の堀田家(養豚業)は先年、屋根にトタンをかぶせてしまった。
  2. 稲葉の森三一家(酪農業)とそのお隣の分家は180年前に建立。
  3. 内畑の大植清左エ門家(農業)は文久元年建立というから120年ほど前。入り母屋の破風には「五環二引」の家紋を表現しているのはさすがに旧家の貫録である。
  4. 藤井町の籔二治家(農業)は、その建立は200年以上さかのぼるといわれている。

 以上であるが、いずれも大和造りを少し改造した和泉風とでもいえるだろうか。共通していることは、屋根材にアシを使用し、袖瓦つきで、棟には重厚な瓦をかぶせて雨腐りを防ぎ、「入り母屋造り平入り」の端正な風格になっている。これが「岸和田の民家」の特徴である。

文 吉田太郎

資料

 かや葺・藁ぶきなど、農村部では通常見られた屋根の形であったが、藁や、かやの払底から葺き換えも難しくなり、維持そのものも困難となっているといい、今残るくさぶきの民家はすでに貴重な存在となっている。


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。