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風物百選 65 摩湯山古墳

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

摩湯山古墳の日本画日本画 里井実栄子

 村の人たちは、摩湯山古墳のことを「中ノ山」と呼んでいた。
 中ノ山を越えて少し行くと池があり、池の向こうにもう一つの山があった。「盆送り山」である。そこでは、山肌にへばりついた小さな松露を見つけることができた。
 昭和ひとけたのころのはなしである。
 竹やぶを越えると牛神山。山を降りて花摘みの丘に出ると、桑畑があった。中ノ山を囲むようにして長池がある。木々の紅葉が夕日に染まるころ、村人たちが野良仕事から帰る。
 秋の中ノ山の風景は格別だ。中ノ山が夕闇につつまれ、池も林も丘にも夜がやってくる。紅いちょうちんがゆらゆら揺れて、長池に秋祭りが始まる。夜露にぬれた道を地車がゴトゴトはうと、祭りが終わる。お祭り騒ぎのあとは、またもとの静かなミササギがかえってくる。前方後円墳時代のミササギは、三世紀の終わりごろの築造だと聞く。大津川周辺に勢力のあった当時の豪族の頭の墓なのか。ミササギ池(長池)は何も語ろうとしないが、古墳、皇陵と推論されて、郷土史のなぞを深めていく。頂上付近の円筒埴輪(はにわ)のかけらだって、古代の古墳のなぞを見つめつづけているのだ。
 摩湯、馬子塚辺りに昔、温泉がわき出ていたが、通行した馬子が馬蹄(てい)を洗ったので汚れて温泉が有馬に飛んだとの俗伝もあるという(『大阪府全志』第二項山直下村より)。
 亥の子の晩に、カラウスが長池にはめられていたり、池のほとりに地蔵がまつられていたりした。古墳とは全く奇妙な取り合わせだ。このように考古学や民俗学の上で興味のつきない中ノ山ではあるが、村人にとっては、かけがえのないシバカリ山であった。

文 米谷金治郎

資料

 古墳時代前期の大型前方後円墳で、前後の長さが約200メートル、前方部の幅100メートル、後円部の直径は130メートルある。由緒は明らかではないが、不破内親王(ふわないしんのう)の墓であるとの伝承もある。昭和31年5月、国から「史跡」として指定されている。

交通

 バス停摩湯下車


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。