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風物百選 58 久米田古墳

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

久米田古墳の日本画日本画 花谷英子

 伝承によれば、この古墳の主は橘諸兄であるが、史家はこれを排して「さらにもっと古い前方後円墳の後期のものだが、主は分からない」と言う。千何百年か以前に営まれたこの古墳が、大体の原形を残して今日ここにあるということに対して、私は無限の信頼感と崇敬親和の感を抱くのである。思えば久米田寺に育った私にとって、この古墳は境内の一部であり、庭つづきのようなものであった。特に春秋のころにはよくこの丘に遊んだものである。その思い出の1、2をここに記そう。

 秋の日のことであった。赤い夕日が古墳の肌をセピア色に染め、樹林の(当時は数百本の松があった)重なったこずえには暮色が動いていた。少し感傷的になりながら、前方部から後円部へ尾根伝いに最高部へ来たとき、私は地底からひびいて来る静かな、しかし妙に重量感がある物音を聞いて、立ち止まった。兵馬のおたけびや干戈(かんか)の激突するひびきであった。永禄年間、畠山と三好とがこの地で戦ったその折の音が、まだ地底のどこかに封じ込められていたのだろうか。後円部の最高所に達して視界が開けたとき、私は眼下に久米田寺伽藍(がらん)の堂宇の屋根の向こうに、白く光る久米田池の水面を見た。池の面にもはや暮色が動いていたが、その時、私はこの古墳の主を池の造営長官であった橘諸兄に擬した古人の気持を理解することができた。

 もう一つの春の日の思い出。陰暦3月21日は弘法大師の御影供(祥月命日忌)で、久米田寺では盛大な法要が営まれる。そのころ、古墳には四国88箇所の霊場を招請た御堂が奉祀(し)されていた。大師信仰の参けい人は、お山めぐりと称してこのお堂を巡拝したものである。その人たちは、申し合わせたように、お米を入れたウコン色の小さな袋を提げていた。陸続とつづく参けい人の手に提げられたウコン色の袋が、暖かい春の日に照らされて・ヤマブキ色にまた黄金色に流れ動いて行くのは、明るく心を楽しませてくれる風景であった。
 
文 蓮舎大道

資料

 久米田寺の西北に、堀のあとを残す大きな前方後円墳である。俗に、諸兄(もろえ)塚とよばれる。久米田合戦のころ、三好実休が城に使ったとも伝えられ、陣貝をここで吹いたため、貝吹山という名がつけられる。

交通

 バス停久米田から南東450メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。