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風物百選 56 岸和田池

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

岸和田池の油彩油彩 稲垣藍

 流木町を南へ、津田川左岸の水路沿いの道を、城山のがけを回って進むと水道みちに出る。とたんに景色が開けて前方左右に大きな堤が見えてくる。左が岸和田池、右が今池の堤である。 
 水道みちから岸和田池へとたどる道は、すぐに永吉池の堤へと下り、四十九(しずく)社のあとの枯れた木立、落井清水のあった辺りをすぎて再び、少しずつ登りになり、岸和田池の堤に突き当たる。高い堤のすそ辺りには「いしもち草」や「小もうせんごけ」などが見られ、斜面は春には絶好のワラビ採りの場所となっていたところ。
 この堤の西側、今池との間の道は、昔の阿間河の流木と滝とを結ぶ近道であったという。こんな流木町の山中、南上町の飛び地にあるこの池は、天正のころ岸和田城の用水としてつくられたとか。平時には旧岸和田の農業用水としてその管理がゆだねられていた。もとは上・下・返りと3つの池がセットであったそうであるが、返りの池は今はもう見られない。 
 池の山手には阿間河滝のミカン山越しに神於山・熊高山が並び、左手は津田川へと開けて対岸に天神山団地が展開する。紺青の水をたたえるこの池には、主の大蛇がいるとか。その食べた「タニシ」の殻の山が、たまに見えたともいい、秋には岸の枯れアシにスズメが群集し、スズメ狩りが行われたこともあったという。むかしの阿間河の小道は幹線道路として今、生まれ変わりつつある。そのそば、岸和田のルーツにつながる岸和田池は、今日も満々と水をたたえ、沈黙を守りつづけている。

文 玉谷哲

資料

 流木墓地公園の一角、城山の位置から山手にみえる2つの大きな池である。岸和田庄の池として、天正3年(1575)に、松浦肥前守光がつくらせたとされている。地元では、山池ともよばれる。

交通

 バス停流木墓地公園東300メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。


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