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風物百選 54 天神山住宅

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

天神山住宅の油彩油彩 藤原寿雄

 市内で最も近代的な町といえば、電々公社の電波高塔に近く、総面積約350,000平方メートルの丘陵に出来た天神山町である。ここは「緑がいっぱい」というスローガンもあるとおり、町中の遊歩道、公園、住棟の裏表にも、いっぱい若木が植えられていて、近い将来には"森の町"あるいは"公園の町"と親しまれるに違いない。借景にも恵まれている。山手には、近くは神於山、遠くは葛城の峰々が見える。一方、市街を越えて大阪湾が一望に望まれ、昼は巨船の行き来を、夜は阪神間の灯も美しく、緑の丘陵地独得のさわやかな空気を十分に味わうことが出来る。 
 天神山町の名の起こりは、付近の天神山にちなむものである。この地は『日本書紀』にも出ている義犬の話が残るところである。
 それを要約して述べると……
 今から1,400年前、仏教と神道のことで、蘇我、物部の両氏の争いがあり、滅ぼされた物部氏の家臣、捕鳥部萬(ととりべのよろず)が、難をのがれて妻の里(有眞香(ありまか))であるこの地に隠れていると、官兵が、そのことを知って、この地を取り囲んだ。萬は、いろいろの計略をもって官兵を悩ましたが、衆寡敵せず、自刃して相果てた。朝廷はその髄(むくろ)を八つ裂きにし・晒(さら)し首にした。ところが萬の飼っていた犬が、主人の晒し首をくわえ去り、山中の古墳に隠し、そのそばを離れることなく、飢えて死んでしまった。この忠犬の話を聞いた朝廷は、世の亀鑑(きかん)にと、萬とその犬の墓を並べて造り、厚く葬った。萬の墓といわれる古墳は、今、遺跡公園となっている所の塚だといい、義犬の塚といわれるものも、町外れに現存する。

文 若尾五雄

資料

 八田町.真上町.神須屋町.流木町から囲まれた独立丘陵を造成、近代的住宅が誘致された所。昭和54年、天神山町1丁目~3丁目の町が誕生した。天神山小学校・幼稚園がある。捕鳥部萬の塚周辺は、史跡公園として整備されている。

交通

 バス停天神山町1丁目下車


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。