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風物百選 31 岸和田漁港
油彩 片野俊雄
―いりやの仕事―
イワシ日和が訪れる。小さなカタクチイワシが群れをなして泉州沖に入ってくる。すると「色見」といって、網元の出す船が、これを見つけて追いかけるのである。沖で網に入ったイワシの一部が、わが家の浜に向けられる。家は米屋だったが、夏場は、煮干し作りの「いりや」となる。
「来たぞーっ」
見張りの若い衆の声に、待機していた家中のものが活動を開始する。荷揚げかごを浜へ運ぶ。
パートのおばさんたちの家に触れて回る。幾つものハンギリ(大おけ)に水が張られる。つるべをもった若い衆が井戸枠に立ち上がって水をくむ。かま場では大急ぎで火がかき立てられ、新しいまきや石炭が投げ込まれる。
準備の整ったころ、小舟が一そう、あるいは二そう、波打ち際に横づけされ、イワシは「バイスケ」に移され、何十杯か浜辺に並び、焼けつく砂の上を、納屋まで担ぎ込まれる。「おおこ(てんびん棒)」が肩に食い込む。前後のかごのバランスをとりながら、砂にめり込む足元に気を配りつつ運ぶ。ハンギリにあけた新しいイワシを、大きな網しゃくしで、ザッとうろこを落としてザルに入れ、かま前に並べる。女の人たちは一杯ずつ手際よくかまに投げ入れ、湯立ち加減をみて、さっとすくい上げる。
そのうち、女子供たちの手で、浜いっぱいにむしろが何百枚も敷き詰められ、その上にばらばら、むらなく干し広げる。この間の仕事が戦場のような忙しさ。夏のことであるから、鮮度の落ちぬうちに、これだけの処理が要求される。大漁の日は一日のうちに、こうした忙しさが二度三度繰り返され、それこそ食事も裸足で立ったままということになりかねない。
夜になって仕事が一段落すると、母が筆をとって、「だれだれさんは、いつから来てくれたかなあ」と思案しながら、給金帳付けをしていたことを思い出す。
文 米本政江
資料
昭和26年度から、春木川左岸で漁港の修築を開始。昭和36年に臨海工業用地造成事業に着手したため、一部分計画を変更、昭和41年に現在の漁港が完成した。当港を拠点とする漁業は、あぐり網漁業(いわし巾着網)が主で、府下1~2位の水揚げ量を誇っている。
交通
南海本線和泉大宮駅から北西1,200メートル
この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。
そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。