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風物百選 22 旧四十三銀行(日本貯蓄信用組合)

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

旧四十三銀行の油彩油彩 河合福三

 紀州街道の魚屋町角に、赤いれんがと花こう岩のツートンカラーの洋式建造物がある。日本貯蓄信用組合岸和田支店である。広い内部には柱一本もない。いわゆるつり天井である。
 馬力車で資材が運びこまれる。丸太を何本も組み合わせて足場を作り、ロープでれんがや石をつり上げる。スコップで砂や水を混ぜ合わせてセメントを作る。小学生だった私は、まるで自分の家が出来上がっていくような楽しみで、毎日、工事を見ていた。
 当時、和歌山へ通じる道は紀州街道一本しかなく、古城川に架かる欄干橋付近は、岸和田ではいちばんにぎやかな商店街だった。古城川の下手には「かき舟」が浮かび、左手に検番(芸者さんの事務所)があった。一年ほどかかって、大正8年5月、日本貯蓄の建物が出来上がり、商店街に花を添えた。夕暮れになると、銀行の角でヨレヨレのはかまをはいた二人連れの演歌師が、バイオリンを持って、独特のしわがれた声で
 熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ…
 などの歌を演じ、仲間の一人は聴衆の後ろに回って薄っぺらな本を一部5銭で売っていた。各商店も10時から11時ごろまで店を開けていたし、芸者さんを乗せた人力車も走るし、今思うと懐かしい。
 初めに揚げた看板は、和歌山に本店のある四十三銀行岸和田支店だった。次いで昭和5年8月に三十四銀行岸和田支店、昭和8年12月には三銀行合併により、三和銀行岸和田支店と名称が変わり、堺町角に新築移転するまで29年間、親しまれた。しばらく空き家だったが、昭和34年6月に日本生命岸和田支社となる。これも新社屋完成で移転ののち、昭和40年12月に、日本貯蓄信用組合岸和田支店となって今日に至っている。
 金融経済界の歴史のあかし、しかも文化財的価値の高いこの建物、いつまでも大切にして残したい。

文 池宮清一郎

資料

 大正8年の洋風建築であるが、外観はほとんど変わらない。欄干橋から旭座界隈の、不夜城のころをしっている唯一の証人である。

交通

 南海本線岸和田駅から北西650メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。