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風物百選 17 本町のまちなみ

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

本町のまちなみの油彩油彩 仲村 和三

 江戸時代の古い家が、紀州街道に軒を並べて建てられている。街道に面した家はすべて中二階で、裏側の城に面した屋根は、民家から城が見えないように一階建てであるのが特徴である。
 本町の旧跡として一里塚と弁財天がある。一里塚は慶長9年2月、江戸の日本橋を一里塚の起点として36町を1里と定め、1里ごとに一里塚を築造して、エノキ、松などを植えたのにならったもので、陸路を旅する人や、重荷を運ぶ牛馬のひづめを休めた。弁財天は万治・寛文のころにつくられたといわれ、天保7年改造されている。
 これらは岸和田城内曲輪の内にあるのが珍しい。二の丸の真下、総曲輪に万人の休憩所として一里塚があるというのは恐らくここだけで、岸和田の誇りである。紀州街道の北、市役所別館付近には、道路元標がある。道路の起点・終点、また経過の地を表示する標識とし、市町村ごとに一か所置き、裏面には市町村の名が記載されているはずである。さらに水準石といって、東京日本橋を中心とし全国主な道路に沿って、2キロごとに設けられた石がある。弁財天の前、西側の紀州街道に埋設されている花嵐岩である。この二つの石は、紀州街道の古きをしのぶ貴重な遺物であろう。
 元和2年(今から370年程前)以来、本町中央に、薬種商の看板をかかげた卯建。今なお、屋根の上に設けられている看板は、小児胎毒下しの家伝の漢方薬の看板であって、「反魂丹」と書かれ、紀州街道でいちばん目につく大事な骨とう品で、有名な書家超陶斎の字である。明治初めの『和泉豪商名家図譜』によれば、本町の三軒の家が記載されている。今もなお盛んである。
 本町は、町役場を中心として税務署・警察署・郵便局(電話通信所)・学校・幼稚園・旅館・芝居小屋・商家が紀州街道沿いに立ち並び、一つの自治体を形成して官庁街として岸和田市発展の基をなしてきたところなのである。

文  毛利 一郎

資料

 紀州街道沿いにあり、岸和田城下町の町家地区の中心ともいえるところで、商家が並んでいた。現在も、本かわらぶき・中二階・出格子の歴史的な町家景観が残されており、近世幕末の旧家も点在する。風格のある重厚な意匠を特長とするまちなみである。

交通

 南海蛸地蔵駅から北西400メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。


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