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風物百選 16 天性寺蛸地蔵

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

天性寺蛸地蔵の油彩油彩 加納 祥光

 霊験顕著(れいげんあらたか)と音に聞こえた蛸(たこ)地蔵さんで、1月23、4日には初地蔵、8月23、4日には千日大法会がある。この千日に参けいすると、一日で千日分の功徳があるというので、昔は早朝から近郷近在の人々で紀州街道筋は大にぎわいであった。堺町、本町辺りでは、しにせや露店が「かき入れ時」とばかりに、ねじり鉢巻きの大車輪であった。特に虎屋の上撰飴(じょうせんあめ)は腹薬(はらぐすり)ということで、老若男女に大変に人気があった。参道入り口左側石標の「たこちそう」の字は、江戸時代の書の大家、池大雅の書であるという。境内の広場では「のぞき眼鏡」の人が、「三府(さんぷ)の一の東京で……」との歌をうたい、「カリバタ」(軽業・サーカス)では「美しき天然」の曲を流して観客動員に大童。堂前の口ーソク台の炎は天を焦がし、線香の煙で空が曇らんばかり。堂内には諸所からの供え物が山のように積まれた。信心深い人たちは、夜通しで読経ざんまいにふけり、後生安楽を祈願したものだ。蛸地蔵の名は残っても、今はこういう光景も思い出になった。時代の推移とはいいながら、今昔の差異もはなはだしいかぎりである。
  記録によると、
○堂宇の建立は、元亀元年(1570)。
○天保4年(1840)、不幸にして炎上。
○天保10年(1846)、めでたく堂宇庫埋が完成。

文  宮本 福太郎

資料

 境内に、地蔵堂としては最大級の堂宇のなかにまつられる蛸地蔵がある。戦国の頃岸和田城主と根来・雑賀衆の合戦で、海中から現れた数千の蛸が、城の危機を救った伝承がある。
 昭和31年、市指定文化財となった「石仏正平地蔵」も安置されている。

交通

 南海蛸地蔵駅から北西へ500メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。


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