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風物百選 11 武家屋敷

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

武家屋敷の日本画日本画 帯野 利子

 300年くらい前、二の丸の一隅に、武家屋敷が建てられた。私の家である。
 明治40年ころの記憶では、ちょっといかめしい重い門があり、その右の部屋に門番が住んでいたと思う。左側には、年貢の俵を入れる「米蔵」。その横はお米をつく土間で、男衆が元気に、大きな足踏みの道具を踏んでいた。隣の二階建ての土蔵には、おじいさんの武士時代の道具や夜具類、古文書類が入っていた。低い土塀が、庭と家屋を取り囲むように巡らされていたが、瓦はところどころ落ち、中の壁土がぼろぼろとのぞいていた。
 内玄関を入ると、高い天井があって、畳の敷かれた部屋は、座敷・次の間・奥の間・中の間と四畳半だけ。その他はほとんど板敷きで天井はなく、各部屋の間に廊下はなかった。縁側のかもいやお座敷の欄間は、彫りものや細かい格子でできている。敷居は虫にくわれていて、お客様が珍しがって喜ばれる有様。縁側の奥に小部屋が二つ続いていて、殿様がここから馬場の馬の教練を御覧になったといわれている。
 家屋内は土間が多く、内玄関のすぐ左側も広い土間で、年貢を納めに来る人が米俵を運んだ。祖父が一々、和紙をとじた帳面に、すずり箱を横に置いて書き入れていたという。隣の土間には屋内の井戸があり、木造の祖末な、広い流し台や水道もついていた。振り向いてげたを脱ぎ、板敷きの炊事場に上がると、大きなかまどがあった。おかまと二つのおなべに薪で火をつけ、ばあやさんが火の番をする。おかまのおこげにお塩と熱いお湯をかけてふたをしておく。これがすばらしくおいしい。私はそうっと早く、お茶わんにもらいに行ったものである。
 祖父母、両親、二人の兄、弟、妹、そしてお手伝いさん、男衆はもうみんな亡き人となった。住居の内部も変わった。土間を部屋に変え、天井も張り、戸障子も新しく、座敷にピアノなどを入れて、いすを取り入れた。表から見る山岡家は、破損のため修築して昔の感じは少しうすくなったと思う。朽ちていても不便でも、一軒屋時代が懐かしい。家族と共に生活した時の温かさが懐かしい。

文  宮沢 愛

資料

 近世藩政時代、岸城町一帯は城内といわれ、上級家臣団の住宅地であったが今も、当時の武家屋敷の景観を残すたたずまいがいくつか見られる。

交通

 南海蛸地蔵駅から北東450メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。


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