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風物百選 08 岸城神社

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

岸城神社の切絵きりえ 脇田 茂樹

 岸城神社は、620年ほど前に、京都の八坂神社より勧請(かんじょう)し、牛頭(ごず)天王社と呼んで、岸和田村の産土(うぶすな)大神としてお祀(まつ)りされたのが始まりです。のち慶長年間、小出秀政公が岸和田城を創建された時、八幡大神を合祀されました。以来、社殿を修改築して規模を整えるなど、代々の城主、住民の尊崇をうけてきました。明治維新に至り、社名を岸城神社と称し、明治29年に現今の広大なる御社殿が奉建されました。
 満州事変以来、軍隊の戦勝祈願、各学校の月初めの正式参拝など公式行事も多くありました。大正時代に岸和田浜から戎社を移築し、昭和5年に十日戎大祭を初めて執行して以来、参拝者はしだいに増えました。昭和20年の敗戦で少し途絶えたものの、社会情勢の落ち着きとともに、崇敬者は倍加し、昭和36年、御鎮座六百式年大祭を執行しました。氏子崇敬者の一心奉賛により、社殿諸設備が完成し昭和59年末には、戎社も改築完了する見込みです。

文  阪井 正明

資料

 元岸和田村氏神。岸――岸和田荘――岸和田村を氏地としていた。牛頭天王社と八幡社の二社であったが、明治に岸城神社と改めた。大工町の蛭子神社、大北町の琴平神社を合祀。日光寺という宮寺があった。

交通

 南海蛸地蔵駅から北東400メートル。


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。


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