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風物百選 02 八陣の庭

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

八陣の庭の染色染色 田中奈緒美

 昭和28年の初頭に、当時の福本太郎市長が、岸和田城跡の将来の荒廃を恐れて、本丸に文化的な芸術の匂いの高い施設をつくろう、といわれたのが話の起こりであった。
 八陣の庭は、まだ天守閣を建てるという話のないとき、昭和28年7月に着工、同年12月に砂紋を入れて完成した。京都林泉協会会長で、日本庭園図鑑の著者であり、また庭園考証の権威者としても知られている重森三玲氏の創作による独特の石庭である。
 八陣の名は、中国の諸葛孔明の陣構えからとったものであるが、本丸の庭である関係上、四方八方から眺められる"ぐるり正面〃の庭で、戦ごとよりも、むしろ平和的な蓬莱山の九山八海になぞらえた青海波の砂紋が描き出されている。
 庭は三段に構えて、各段は6寸(約20センチメートル)の高さとして、古城の縄張りを美術的に造形して組み合わせたものである。庭園様式は遠く室町・桃山の手法に現代感覚をアレンジしたもので、立体的に盛り上げて巧みに線と稜を生かしている。
 石組みは大将軍を中心として周りに天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣を配して、一分のスキもなく象徴的に布石している。砂紋を描いた白砂をもって石組みを囲み、海中の蓬莱山を立体的に表現している。
 ちなみに、石は和歌浦の沖ノ島から陸揚げした水成岩であって、作者自ら現地において指揮し、採石したもので、一石一石に苦心のほどがしのばれる。白砂は京都白川のものを用いている。
 昭和29年には天守閣を建てたが、重森氏は、作庭当時よりこの庭が俯瞰(ふかん)されることをも考えており、その点、日本庭園としてはまれな存在であるといえる。

文  金田健一

交通 南海蛸地蔵駅から北東300メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。