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『本朝食鑑』と岸和田(ミニ岸和田再発見第4弾)
『本朝食鑑』を知っていますか?本朝はわが国、鑑は図鑑、名鑑のように資料を並べて手本とする書物であり、日本に於ける食について手本となるような事例を集めた書というものです。
食で健康を保つとの観点に立った食物本草書で、医家の人見必大(ひとみひつだい)が1692年(元禄5)に著した遺稿を,子の元浩が岸和田藩主の援助をうけ,1697年に12巻10冊本として刊行したものです。日本では多くの類書が出版されていますが、本書はその最高峰といわれています。
本書は、中国の『本草綱目』を下敷きにしていますが、類書が漢名なのに対し多くを和名で記載しているのが特色です。図は収録されていません。その内容は、植物が約160品、動物は約250品を収録し、特に鳥類について詳しく、烏骨鶏やちゃぼ等多くが本書で初めて収録されています。食文化や習慣についての記述も多く、例えば、蕎麦についても辛み大根で味わう習慣が300年程前に流行したとか、そば湯をあとで飲むという習慣についても、この本が初めて紹介しています。
岸和田との関わりはその序文に書かれています。最後にある署名「泉州江上漁翁伯将父」とは岸和田藩第3代藩主の岡部長泰のことです。
序文の中ほどの内容は下記のとおりです。
「予、幼きより多病なりしが、幸いにも私淑して、常にその老爺、随祥院法元徳先生(必大の父賢知)の治療を受けて、遂にもって強健にして長ず。その仁、もってこれに違うべからず。しかのみならず、世に功のあるの術、悉くこれを枚挙すべからず。その父にしてかくの如し。その子たるや、また猶かくの如し。けだし累代の胎厥(子孫にのこすはかりごと)また多からずや。」
この文章で、幼少時に病弱であった長泰が、必大の父のおかげで健康を回復したことに感謝して本書の出版の援助をしたことがわかります。
本文は漢文で書かれていて判読は難しいところです。その活字版が「東洋文庫」に5巻本として収録されています。上記のように書き下し文として収録されているので読みやすいと思います。東洋文庫という叢書は馴染みが無いかも知れません。本館2階に緑色の背表紙で統一された本が纏まって配架されているのをご存じでしょうか。平凡社が刊行するシリーズでアジア全域の代表的な古典、知られざる名作、日記・紀行文など他では見ることのできない貴重な資料850点余りが刊行されています。一度東洋文庫の本棚を探してみませんか?普段眼にすることのない面白そうな本に出会える気がします。