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岸和田の戦国武士たち(ミニ岸和田再発見第3弾)

印刷用ページを表示する 2015年8月4日掲載

先ごろ本屋大賞に選ばれた和田竜『村上海賊の娘』は、戦国時代、瀬戸内海の水軍村上氏が、織田信長と大坂本願寺の長期にわたる合戦では大坂本願寺を支援する毛利氏の配下となり、大坂湾の木津川口で織田軍と戦った史実をもとに描かれています。小説の主人公は村上水軍棟梁の娘で、男顔負けの荒々しい武者ぶりで活躍します。一方、村上水軍の敵になる織田軍には泉州の武士たちも多く加わり、小説の中でも登場します。信長や秀吉が登場する小説は数知れずありますが、当時の実在した泉州武士が実名で登場する小説は珍しいのではないでしょうか。ここでは、『村上海賊の娘』に登場する泉州武士のうち、特に本市と関わり深い人物を史実に基づいてご紹介しましょう。     

 真鍋七五三兵衛(しめべえ)

真鍋氏は元々、備中国真鍋島(岡山県笠岡市)出身の水軍でした。室町時代には和泉国淡輪に拠点を移し、紀淡海峡を通行する船から税を徴収していましたが、後にその本拠は泉大津に移りました。七五三兵衛(主馬兵衛と書く史料もあります。名は貞友)は、海戦に優れているとして信長から三〇〇〇貫文の領地等をもらって味方しました。領地の一部は岸和田城周辺にもあったようです。天正4(1576)年大坂湾の海上封鎖にあたりましたが、村上水軍を率いる毛利軍との合戦で戦死しました。

 沼間(ぬま)任世(にんせい)

 沼間氏は元々、市内の沼出身と伝えられています。信長が登場する頃から台頭し、信長に味方した泉州武士たちの頭目的な役割を担いました。任世(清成)の頃から綾井城(高石市、城跡は現在は専称寺)を居城とし、信長政権下において一時期岸和田城主の寺田氏と共に泉州地域を治めました。任世の子義清は木津川口の合戦に加わり、戦死しました。なお、江戸時代には沼間氏は旗本として存続しました。

寺田又右衛門・松浦安太夫

 元は堺の出身と伝えますが、出自について詳しくはわかりません。16世紀半ば頃に和泉守護代から台頭して泉州を治めた松浦氏の重臣として登場します。後世の記録では岸和田の浜にて主君で岸和田城主の松浦氏を殺害し、又右衛門の弟安太夫が松浦を名乗ったと言われます。そのためか小説ではかなり印象悪い人物として描かれています。寺田又右衛門・安太夫兄弟は一時期岸和田城主となり、信長に属して木津川口合戦に参戦しますが、無事に生還しました。後に又右衛門は豊臣秀長に仕え、阿波国で戦死、安太夫は関ヶ原合戦で石田三成に味方して没落しました。

他にも小説では泉州武士たちが多数登場し、その言葉も泉州らしい方言が使われています。作者はかなり丹念に当地の史料を調べられたようです。もちろん小説ですから全てが事実というわけではありませんが、戦国時代の歴史をより深く知る入門としてお勧めです。史実としての木津川口合戦や和泉の武士たちについては『大阪府史』第4巻(大阪府)、『戦乱の中の岸和田城』(岸和田市立郷土資料館)などが比較的詳しく述べられています。村上水軍については藤田達生『秀吉と海賊大名』(中公新書)が最新の研究成果を踏まえてわかりやすく書かれています。また手前味噌ながら、和泉武士と岸和田城の関係については山中吾朗「戦国期和泉の地域権力と岸和田城」(『岸和田古城から城下町へ』和泉書院)もご参照ください。