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「岸和田の狛犬について」(ミニ岸和田再発見第26弾)

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2016年8月5日掲載

 狛犬ってご存じでしょうか。神社に行けば鳥居と同じように狛犬が居ると思うでしょうか。ある調査では、日本全国で狛犬が設置されていない神社は約6割もあるそうです。皆さんのよく知っている ”伊勢神宮・出雲大社・上賀茂神社”等は、狛犬は設置されていません。狛犬は神社が設置するものでなく氏子さんが寄進するものなのです。神社以外にもお寺にも設置されているところがあります。皆さんのよく知っている奈良の東大寺や京都の清水寺にも大きな狛犬が設置されています。東大寺は南大門の仁王さんの反対側に鎌倉時代に造られた立派な狛犬が、清水寺は清水坂を登り切った仁王門の前に設置されています。

 狛犬は何のために設置されているのでしょう。神域に悪霊が入ってこないように見張っているのです。ほとんどの2体の狛犬は、向かい合って設置され、顔を入口の方に向けています。

淡路神社(摩湯町)写真淡路神社(摩湯町)

 岸和田市には何対ぐらいの狛犬が設置されているのでしょう。対象は昭和時代までの参道狛犬とさせていただきます(社殿内は調査困難なため)。 

 私の調査では、江戸時代21対43%・明治時代8対17%・大正時代1対・昭和時代9対19%・不明9対19% 合計48対の狛犬が岸和田市に現存します(平成は除いています)。狛犬の台座には、制作年・寄進者・石工等が彫り込まれています。ちなみに、江戸時代では岸和田南町石工伊兵衛の作品が、夜疑神社(1844)・積川神社(1863)にあります。

 狛犬は2体で一対になっていますが、鎌倉時代には、本殿に向かって右側が、獅子。左側が、狛犬と呼ばれていました。吉田兼好の「徒然草」の文章では使い分けられています。そもそも2体は別々の神獣だったのですが、江戸時代の頃には2体とも狛犬と呼ぶようになっています。右側の獅子は口を開き、左側の狛犬は口を閉じ(阿吽の形)、頭に角がありました。しかし、角は時代が経つとだんだん短くなってきて、最後にはなくなった狛犬も現れます。また、河合町にある東葛城神社のように、右と左が逆になって設置されている狛犬もあります。

東葛城神社(河合町)写真 東葛城神社(河合町)

 一対でいると、何故か一方が雄で、他方が雌と云う人が出てくるのですね。口の開けた方が雌と云う人もいますが、大勢は口の閉じた方が雌で、開けた方が雄と云う事になっています。では、口は、どうして雌雄の区別をするのでしょうか。初めは別々の神獣であったのに雌雄となったため、石工の方で、色々と工夫をします。狛犬は犬ではありませんが、犬と同じように4対8個の乳房をつけるとか、雌雄のシンボルをつけるとか色々工夫しています。機会があれば、岸和田や周辺の変わり種の狛犬を紹介したいと思います。