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箕土路遺跡から出土した『小型鎌』(ミニ岸和田再発見第19弾)

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2015年11月16日掲載

 オグリキャップ。いきなりこんな名前が出てきてびっくりですね。年配の方なら、アーあの競走馬かとわかるのではないでしょうか。30年ほど前に一世を風靡した競走馬です。なぜ、図書館の「ミニ岸和田再発見」にこんな話が・・・・いいのでしょうか?

 ちょっと探し物があり、たまたま机の引き出しを開けたところ、古い新聞の切り抜きが出てきました。平成22年8月7日付、読売新聞の夕刊で「オグリキャップの前足を矯正した鎌」という見出しでした。一文を引用させていただきました。

 『1985年3月、北海道新ひだか町で生まれた芦毛の子馬は、右前脚が曲がっていた。そのままでは競走馬になれないため、鎌で蹄を斜めに削って矯正した。(中略)子馬は無事に競走馬となり、オグリキャップと名付けられた。(中略)母親はがんを告知され、期待馬が死産するなど災難続きだった。 (中略) つぶらな瞳の人なつこい馬は、静かに寄り添っていた。馬はやがて日本中のファンの夢を背負って走るようになった。7月のお別れ会で、稲葉さんは弔辞を読んだ。「あなたはこれからも、ファンの心の中に生きている」。名馬を生んだ鎌を、稲葉さんは大切に保管している。』

 東京本社運動部三室学記者の記事で、「鎌」の小さな写真が載っていました。

 昭和49年に発掘調査が行われた箕土路遺跡の井戸から出土した「小型鎌」とよく似た形だったので、切り抜いていたと思います。

 出土した小型鎌は、調査報告書によると近世のもので、用途として牛などの「ツメキリガマ」の可能性があると報告されています。現存長14.9cm、柄は11.9cmで端部に滑り止めの突出部があります。刃の肩部は角張っており、これは播磨のものと同じです。ちなみに土佐のものは肩部が丸いようです。

箕土路遺跡から出土した小型鎌

箕土路遺跡から出土した小型鎌

  かつて牛馬による耕作は全国で行われていましたが、泉州では牛による耕作が通常であったようです。すでに元禄年間(1688~1703)には、但馬地方から子牛を購入し1年前後飼育し、耕作になれさせたうえで紀州に転売するというやり方が行われていました。子牛の時には田畑を耕せ、成牛になると子牛で購入した時よりも高い値で売るという、農家にとっては一石二鳥の手法です。岸和田市史によると、安政3年(1856)の摩湯村では持高5斗の農民が牛を所有しているとの記述もあり、持高が少ない者が牛の転売を目的として飼育していたことを知ることができます。牛馬を飼育するうえで必要になるのが「ツメキリガマ」であることはいうまでもありません。

 牛滝山大威徳寺といえば本堂に安置されている大威徳明王(牛滝明王)がよく知られていますが、これも泉州の人が牛に対する敬愛と信仰の賜物と考えられます。3月25日、8月25日の祭礼には、牛を連れての「牛滝まいり」が賑わったといわれています。農業が機械化された今日では、牛の必要性もなくなり、同時に信仰も薄れ、かつては多くの人でにぎわった境内も今は閑散としています。

 発掘調査によって出土した1点の資料から、過去の岸和田の風景を思い起こすのも一興ではないでしょうか。