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「夏目漱石と私」(「牛門漫筆-名高い人と私」より)(ミニ岸和田再発見第12弾)

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2015年8月4日掲載

 随筆の標題です。著者は岸和田市出身の海事法学者として有名な松波仁一郎(まつなみにいちろう)。

 図書館には幾つかの特別文庫があって、その一つが松波氏より寄贈された「松波文庫」です。図書館は昭和3年開館ですが、翌4年1月には松波文庫が公開され、昭和9年にも松波博士から537冊の図書を受贈しています。博士の経歴は、岸和田天神宮に東郷平八郎揮毫の石碑があり裏面の碑文で知ることができます。明治元年に並松町で生れ、小学校には飽き足らず卒業免状だけもらって中退し、明治14年同志社英学校に入学、後に英語学校、同志社予備校で英語を教えます。上京して第一高等中学校に進学、一高、帝国大学法科大学を首席卒業。卒業後は大学院に進学する一方、法典調査会書記を拝命。法典調査会とは、諸外国と互するための法律整備が急務になり、設立された組織で現行法制の多くはその時に整備されました。明治33年には東京帝国大学法科大学教授となり法学者として第一線で活躍します。

岸和田天神宮に建立された石碑岸和田天神宮に建立された石碑

 その著書の殆どが民法や海法等の専門的な法学書ですが、晩年には「牛門漫筆」(1935)「目あきの垣覗き」(1936)「牛の込合い」(1939)「馬の骨」(1941)等の随筆を出版しています。

 牛門漫筆に収録された内容を紹介すると、松波氏が読売新聞の記念講演会に招かれて行ったところ旧友の塩原金之助が来ていて昔話の後の二人の会話、「僕は今日講演をやる積りで来たのだが相手は未だ来ないで困って居る」「相手は誰だい」「我が輩は猫であるといふつまらん小説を書いた男だが、時間を守らないで困る」「其男なら来て居るよ」「何処に」「ここに」と言われて驚きます。つまり塩原金之助が夏目漱石になったことを知らなかったわけで、その結果「とんだ滑稽を演じて皮肉な夏目にヤラれた」と書いています。また一高時代の思い出として、「英文には自信を持っていたが、同級生中に一層できる者が二人居る。一人は塩原金之助で他の一人は正岡常規である。塩原は小説的の書物を良く読み、正岡はポエム的のものを克く読む。しかし幸いなることに、演説や論文的の書物に至っては私は此両人に左して劣らない。そこでもって我等三人で英学英文の研究団を作っていろいろの本を読んだ。三人寄れば大抵の本は判かる。就ては夏目漱石の塩 原がイタズラ心を起し・・・」どんなイタズラをしたかは是非読んでみてください。ちなみに正岡常規は後の子規。彼については、俳諧の道に進んだのは驚かないが「日本一の宗匠になり俳聖と言われるまでになったのは意外だ」と記しています。漱石については、没後100年や生誕150年を控えて記念イベントが計画されるなど再注目されています。漱石についての関心が高まっている折でもあり、随筆に登場する意外なエピソードも面白く読むことができます。随筆には、漱石の他に「新島八重子」「徳川慶喜」「陸奥宗光」「犬養毅」等多彩な顔ぶれが登場します。