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日英同盟と岸和田煉瓦 ―秘密?の煉瓦(ミニ岸和田再発見第10弾)

印刷用ページを表示する 2015年8月4日掲載

 岸和田煉瓦、もはや岸和田市民でも大多数が知らない、一部のマニアの間でのみ知られる煉瓦でしょう。これは並松周辺にあった「岸和田煉瓦株式会社」によって生産された煉瓦で、明治26年の創業の歴史を持ちます。さらにはその前身は明治20年創業の「第一煉瓦株式会社」、さらには士族授産事業として明治5年にはじめられた「煉瓦製造所」にまでさかのぼります。日本の煉瓦の草分け的存在で、かつ西日本では大阪窯業株式会社と並び、圧倒的なシェアを誇った煉瓦会社だったのです。その販路は遠く九州、下関まで及び、私自身が確認している最西端は、下関の唐戸に建つ旧英国領事館になります。この英国領事館は、明治39年に竣工した建物で、近年行われた半解体修理によって岸和田煉瓦の上等品が使用されていることが確認できました。

岸和田煉瓦全景

岸和田煉瓦全景

 この岸和田煉瓦株式会社、旧士族の山岡尹方(ただかた)が興した会社です。この山岡は非常に筆まめだったようでたくさんの「備忘録」を残しています。しかし、この英国領事館に煉瓦を納入したという記事は彼の備忘録などには表れてこないのです。ここに一つの謎があります。山岡は英国領事館の建築の時期に、数度下関を訪れています。しかし散髪をしたことや、何を食べたかの記録はあるのですが、行った目的、場所は一切触れていません。他の取引の場合はきちんと相手方名や納入数、金額を控えているにも関わらず、です。これはいったいどういうことでしょうか?

 ここから先は推測です。しかし、ある程度の確証を持った推測です。この英国領事館はいわゆる「日英同盟」に基づき、意図あって築かれたものです。しかし日英同盟には、教科書には出てこない秘密条項(現在は公開はされています)があり、日本は優先的に良質の石炭(無煙炭)やその他物資を英国に融通するという内容が含まれています。日英同盟の恩恵や、日本の石炭の融通策は司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも出てきます。でも煉瓦は描かれていません。でも、そこにこの岸和田煉瓦が含まれるのではないか?というのが私の考えなのです。

 なぜなら、この英国領事館から見つかる煉瓦は、地元岸和田でも見つからない「岸×泉」という刻印の大変良質のもので、完全手整形の上等品ばかりなのです。このタイプの煉瓦は地元では今まで見つかっておらず、一方、他所では旧陸軍の施設などで見つかります。つまり軍や同盟国など上得意様に限り極上品を納入していたのです。

 記録に出てこないこと、地元岸和田でも見つからないような極上品を使用していることなど、日英同盟秘密条項のニオイがしませんか?当時の大帝国ロシアとの戦いに勝った一要因として岸和田煉瓦が英国に貢献していた可能性がある。これまで知られていない岸和田です。

 ちなみに下関の唐戸は「日本の床屋発祥の地」で、山岡尹方が散髪をしたと記録したのはおそらく近代の床屋ができて10年くらい。とてもハイカラな男だったのかも知れませんね。