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「淀君寄進」と伝わる積川神社のみこしが修復に旅立つ

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2012年6月4日掲載

淀君寄進と伝えられる積川神社(積川町)のみこしが、元興寺文化財研究所(奈良県生駒市)へ修復に旅立ちました。

みこしの写真

積川神社には現在、3基のみこしが現存しており、今回、一番古い、「淀君寄進」と伝えられるみこしが、財団法人元興寺文化財研究所で修復されることになりました。

積川神社のみこしの写真みこしを確認する研究員(手前は江戸時代のものとされるみこし)

5月29日(火曜日)午前10時半から念入りな準備作業が始まりました。搬送中にみこしが傷つかないように、装飾品の取り外しから、塗料の剥落防止のためのニカワの塗り込みまで、元興寺文化財研究所の研究員が念入りに作業し、神社からの搬出だけで5時間近くを要しました。

搬出の準備をしている写真

搬出の準備をしている写真

みこしの搬出準備写真取り外した鳥居も丁寧に梱包します

みこしの搬出準備写真金属の装飾品も1点ずつ丁寧に取り外し、位置を確認します

みこしを搬出しようとする写真本体の梱包が完了しました

みこしをトラックへ積み込む写真エアーサスペンションがついた文化財搬送専用のトラックへ慎重に積み込みます

トラックでみこしを固定する写真貴重な文化財に傷がつかないようにしっかり固定します

積川神社から出るトラックの写真入念な準備を終え、研究所へ向かうトラック

「淀君寄進」と伝えられますが、みこしの中には「永正八年八月十 積川神社宝」(1511年)と書かれており、その時点でも、淀君が生まれたとされる1569年ごろよりも50年以上も前となるため、今回の修復により、より詳しい年代が特定されるのが期待されます。この頃から現存しているみこしは全国でも数少なく、非常に珍しいものです。

みこしの内部写真みこし天井部内部の写真です。見えにくいですが、ここに「永正八年八月十 積川神社宝」と書かれています

元興寺文化財研究所では、燻蒸、写真撮影、修復作業などを行い、積川神社にみこしが帰ってくるのは来年の3月ごろになるということです。

積川神社とは

積川神社本殿の写真積川神社本殿

積川神社は、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、和泉国五社の一つ。かつての社殿は1585年に豊臣秀吉の根来攻めの際に焼失し、現在の本殿は1602年に豊臣秀頼により再建されました。

本殿は三間社流造・正面千鳥破風付・檜皮葺き(ひわだぶき)で大正3年に国の重要文化財に指定され、境内には樹齢800年とも伝えられる椋の木(市指定文化財)がそびえています。

また男女神像8体(鎌倉期) と、熊野街道に面して立つ遥拝鳥居(小松里町)にかけられていた白河上皇揮毫と伝えられる木造篇額は府指定文化財になっています。


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