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岸和田天神宮

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

岸和田天神宮の写真

 正平17年(1362年)の頃、沼村(現在の沼・筋海・並松)の村長に沼間将監という人があり、極めて孝心が厚く、父親が永らく病床に就き百方手を尽くし平癒を願いましたが、効験がありませんでした。かねてから信仰していた山城国八坂神社に参り病父の平癒を祈願すること3日、ついに霊感を得て歓喜して帰郷すると父の病は全快していました。沼氏は喜び、その神徳を村の衆に告げ、邸内の清域(現在地)に社殿を造営して八坂神社の分霊(速須佐之男命)を勧請し祀ったのが起源です。
 天正年間に至るまで再三の兵火を被り社殿旧記宝物等は一切焼失しましたが、文禄3年(1594年)に社殿の復興を図りました。明治40~42年に近隣8社を合祀し氏子町内も拡大しました。

住所 大阪府岸和田市別所町1丁目13-15

交通 南海本線岸和田駅徒歩2分

岸和田天神宮の地図