岸和田市市制施行100周年記念誌
岸和田のいまむかし 
わがまちヒストリー8-9ページ

和泉葛城山ブナ林の画像

和泉葛城山頂上の展望台から見渡せる、大阪湾と岸和田のまちなみ。そこには、山々の緑とさまざまな古墳、大小の池、田畑、城や港、そして鉄道に道路など、古から現在に至る人々の営みが形となって存在しています。大正11年(1922)11月に、岸和田の地が市となって100年。岸和田市は誇るべき歴史・遺産とともにさらなる未来を育んでいきます。

和泉葛城山頂上には「和泉葛城山ブナ林」が広がっている。標高が低く温暖な地域に生育している貴重なブナ林で、大正12年(1923)に国指定の天然記念物に

久米田池は「世界かんがい施設遺産」です。

和泉葛城山ブナ林の画像

岸和田市の100年は、誇るべき歴史の上に

高僧・行基による久米田池築造、戦国時代の英傑たちによる激しい攻防、歴代城主による城下町の整備、寺田財閥の躍進による近代化……岸和田の魅力的なその歴史が、市制施行100周年の礎に!

久米田池の誕生

神於山から流れる川をせき止めてため池に

古くから神体山として崇拝されていた神於山から流れる轟川(春木川)の水をせき止め、堤防を築いて水を集めたのが久米田池工事のはじまりです。現在の 久米田池の底には、かつて川が流れていた痕跡が確認されています。

行基の開削指導

機械などはもちろんない時代。行基の開削指導によって進められた灌漑築造は、鍬(すき)や鋤(くわ)での手掘り作業による大変なものだった

奈良時代に行基が築いた大規模インフラ工事

久米田池がある八木郷一帯は、かつて干ばつに悩まされていました。民の苦難を軽減するため、聖武天皇がのちに「奈良の大仏」造立の責任者となる僧・行基に灌漑用のため池築造を命じ、造られたとされています。
行基は、布教活動を行いながら各地でため池、用水路、橋、道路といったインフラ整備に尽力していました。岸和田の地においても地元の農民たちを率いて開削を進め、神亀2年(725)から天平10年(738)まで14年もの歳月をかけて「久米田池」を完成させます。
また行基は、池のすぐそばに、久米田池を維持管理する施設として「隆池院(久米田寺)」を建立します。この久米田寺は久米田池とともに灌漑事業の歴史を今に伝える場所で、10月祭礼の「行基参り」では、行基への感謝の意を込めて境内にだんじりが集結、岸和田の秋の風物詩になっています。

市内にある行基ゆかりのスポット画像。行基菩薩の像を祭る久米田寺の「開山堂(行基堂)」工事中の飲み水や洗い水に使用されたとされる井戸「行基渕」の跡

守り引き継がれ1300年 世界かんがい施設遺産に

戦国時代に入ると池の管理は、久米田寺から灌漑地域14カ村(池尻、田治米、大町、西大路、箕土路、下池田、小松里、額、荒木、中井、吉井、春木、加守、西之内)で結成された地域共同体・久米田池郷に引き継がれます。久米田池郷による管理は昭和32年(1957)まで続き、以降は、久米田池土地改良区が管理・運営を行っています。
久米田寺による管理から約1300年間、長期にわたって人の手で守られてきたことや、灌漑農業の発展に貢献した技術が評価され、久米田池は平成27年(2015)に「世界かんがい施設遺産」に登録されました。

久米田池交流資料館の画像。上/久米田池にまつわる歴史的資料を展示する久米田池交流資料館右/ 久米田池交流資料館では「世界かんがい施設遺産」の盾も展示

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現在の久米田池は、農業用水源としてはもちろん、養魚池として利用されていたこともあり、数々の渡り鳥が飛来する「鳥の国際空港」としても認知されています。また、大阪府の「オアシス整備事業」により歩道やデッキが設けられ、市民がジョギングをしたり、畔のベンチでくつろいだりする光景も見られるようになりました。久米田池土地改良区は、「久米田池をまもる会」や「久米田池都市農村交流推進協議会」とともに清掃活動やイベントを実施するなど、今や多彩な顔を持つ岸和田のオアシスを守り続ける活動をしています。

久米田池の画像。上/久米田池西堤の桜並木。多くの市民が花見を楽しむ 右/年間を通して100種以上もの鳥類が訪れる