岸和田市市制施行100周年記念誌
SPECIAL INTERVIEW6-7ページ
PROFILE/奈良県五條市出身、昭和56年(1981)生まれ。映画監督・河瀨直美氏の目にとまり、平成9年(1997)『萌の朱雀』で主演デビューしシンガポール国際映画祭主演女優賞を受賞、NHK連続テレビ小説『カーネーション』で東京ドラマアウォード2012主演女優賞受賞。ほかにも、日本アカデミー賞優秀主演女優賞や優秀助演女優賞、キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞など多数受賞。
ウチの「宝」はここに全部ある…
糸子のセリフは、まさに岸和田を示すんやわ
『カーネーション』。私は一年前のことのよう…
だんじりは太秦でのロケで初めて見ました。2階から眺める設定で、なんとカッコよい祭りなのかと感動しました。綱を曳く方々の活気も。
今日はNHK大阪放送局・岸和田市主催『おかえり糸子!カーネーションファンミーティング』のロケの撮影で、久しぶりに岸和田に来たんやけど、大勢の方々が「糸ちゃん!」と声をかけてくれる。
太秦の撮影の後、五風荘、別寅岸和田荘、弥栄神社とロケが続いたなかで、ようやく岸和田の気質のようなものを意識するようになりました。
そやから今日は、一日岸和田警察署長をやった当時のことを思い出しました。機嫌よく敬礼して商店街を歩いている途中、振り返ると恐ろしいほどの人だかり。うれしくて泣いてしまったんですけど、この岸和田の活気には驚かされます。
一番印象に残っているのは、番組宣伝の撮影で本物の9月祭礼を見せてもらったとき。太秦での撮影では感じることのできなかった熱気、勢いを強く感じたわ。この祭りを中心に、このまちがあるという意味が理解できた瞬間ですね。いろいろな土地をロケなどで訪問するけど、岸和田市内各地の活気や元気のよさはよそ
にはない。そのことを思い出すと、つい一年前の出来事のように感じます。
私が演じたお母ちゃん(小篠綾子さん/糸子のモデル)のプロフィールを見ると戦前、戦後、高度成長期、不況、バブル景気と時代に応じた活躍で、岸和田市100年の歴史そのもの。『カーネーション』もまさにそう。
100年前って言うたら…大正11年(1922)。ドラマに最初に出てくる糸子がちょうど小学校低学年、9歳のときやし、シンクロしますね。
活気、伝統を守ろう…岸和田愛は繋がる!?
糸子のセリフを借りると「ウチの宝はここに全部ある」(※1)から、今も生きているその「宝」、祭りや岸和田の気質、活気や伝統、人々の暮らしを大切に守り続けてほしい。岸和田愛ですね。もちろん『カーネーション』も100年、200年と語り継がれていてほしいです(照笑)。
※1 ドラマ127回、尾野真千子最後の登場回より
PROFILE/岸和田市出身。平成15年(2003)『晴れた日は図書館へいこう』で、第1回日本児童文学者協会長編児童文学新人賞の佳作となりデビュー。「本の怪談」シリーズ、「怪談収集家 山岸良介」シリーズなど著作多数。日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会会員。
いきいきとした岸和田の図書館より一層、
広がってくれたら…
『晴れた日は図書館へいこう』は岸和田が舞台!
本好きが高じて作家を志望した僕は、就職浪人時代、ここ岸和田市立図書館に足しげく通い、本を読みあさっていました。山手の自宅から図書館のある城下町まで、車からの風景が気持ちよかったですね。大阪市内に比べると空も広いし。
デビュー作の『晴れた日は図書館へいこう』の舞台は架空の町ですが、作中に出てくる図書館は、建物の造りや本の並び、司書さんの雰囲気など、この市立図書館がモデルになっています。そこに、推理小説やショートショートで培った自分のノウハウをプラスしました。
現在、僕は主に児童文庫という分野で書いています。これは「大人からすすめられる本」というより、子どもが「自分のおこづかいで買う本」。最近は学校の「朝の読書活動」をきっかけに本を読む子どもが増えているので、短い時間でも手軽に読めるものとして、子どもたちが自分で選んでくれることがうれしいです。
岸和田の図書館は"開かれた図書館"だと思います。図書館では本を借りるだけではなく、さまざまな企画もされているので、世代の異なるいろいろな立場の人と交流するきっかけにしてほしいですね。そんないきいきとした岸和田の図書館のような施設が、今以上に広がってほしいと思います。
PROFILE/昭和47年(1972)生まれ。岸和田市出身。お笑いタレント、脚本家、漫才作家。舞台演出も手掛ける。作家として本名である「久馬 歩」 で参加することも。お笑いユニット『ザ・プラン9』のリーダーとしてはもちろん、今後の活躍にも期待。
情に厚い岸和田を飛び出して
吉本興業への道をめざした日
登校する際、オカンに「吉本行くわ」と告げた
岸和田時代は、高校を卒業するまで、やんちゃもせず、ダイエーやニチイで遊ぶようなおとなしめの子でした。
明確な将来像がないまま高校3年生になり、周りが進学・就職先を決めていくのを不思議に思ってました。表向きは「経理系の著名専門学校へ行く」と言ってましたが、ある朝の登校時、唐突に「吉本行くわ」と玄関先で母親
に告げました。
そこからはもう大騒ぎ。NSC(吉本総合芸能学院)は岸和田市立産業高校でも前代未聞の進学先。親は呼び出され、いろいろと説得されましたが…。あれから30年、よく続けられたと思います。
令和4年(2022)1月に芸歴30周年記念公演を浪切ホールで行い、同級生が集まってくれました。岸和田には厚い情があります。芸人になって初めて大型公演を観覧してくれた親からも誉めてもらい、かけがえのない思い出になりました。
厚い情だけでなく、城下町らしさとか、商店街、食の思い出だとガッチョや祭りのときの冷やしあめとか…、そういう「岸和田らしさ」が、よそにはない。人を惹きつける深い魅力のあるまちだと思いますね。