岸和田市市制施行100周年記念誌
SPECIAL INTERVIEW4-5ページ

スペシャルインタビュー コシノ三姉妹

コシノ三姉妹

コシノヒロコさん

昭和12年(1937)生まれ。文化服装学院在学中よりキャリアを重ね、東京、パリ、ローマ、上海、ソウル、台北などでコレクションを発表。近年はアーティストとしても精力的に活動し、2013年KHギャラリー芦屋をオープン。2021年兵庫県立美術館で「コシノヒロコ展」を大々的に開催した。1997年第15回毎日ファッション大賞、2001年大阪芸術賞受賞。

コシノジュンコさん

昭和14年(1939)生まれ。文化服装学院在学中、新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を最年少の19歳で受賞。1978年初参加したパリ・コレクションをはじめ、北京で中国最大のファッションショー、ベトナムでは日本人初のショー、キューバでも世界初の国外デザイナーによるショーを開催。文化功労者、2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザー。2021年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。

コシノミチコさん

昭和18年(1943)生まれ。1973年単身で渡英後、日英でコレクションに参加。ロンドンを拠点に活動し、斬新なクリエーションは年齢やジェンダーの枠を超え支持されている。代表作は"80年代ストリートカルチャーの象徴"として、王立V&A博物館にも納められている。日本人初の英国ファッション協会正式会員。ロンドンにおいて自ら寿司店MICHIKO SUSHINOもプロデュース。

私たちの原点である岸和田市
三姉妹は100年を元気に走行中!

大正2年生まれの母と岸和田で過ごした子ども時代

コシノヒロコ

「このたびは岸和田市市制施行100周年、おめでとうございます」
HIROKO(以下H)/J UNKO(以下J)/MICHIKO(以下M
H お母ちゃん(小篠綾子さん)は大正2年(1913)生まれ。大正11年(1922)に岸和田市が生まれたならお母ちゃんは9歳年上。コシノ生家をおじいちゃんが借りたのは、その前…、築100年以上やわ(笑)。
J 戦時中は地下に防空壕があって、染み出す水が多くてそれを汲み上げたことを覚えてるわ。
M 小さかったので覚えていない…。
H 食料を手に入れるため手持ちの反物を下着にして売ってたな。暮らしは苦しかった。それでもお母ちゃんは「あんたは才能を伸ばし!」と言うて、大阪市内の文具店で高価な油彩絵の具セットを買ってくれた。この"才能"という言葉が今でも励みになってるわ。
J やかましい三姉妹を少しでも職場(コシノ生家)から追っ払うため、日本舞踊や三味線、書道など多くの習い事をさせてもらった…。今ではホンマ感謝してる。
M 私はハナから相手にされてへんかった。スポーツ(テニス)ではナンバーワンでも、教室に入るとビリ。"才能"がないと思われたんやな。
H  さすがになぁ… 、真っ黒に日焼けして、あんた猿みたいやった。
J テニスで汚れた靴下を何本も欄間で乾かして。
M 短大卒業直前、全日本学生テニス選手権大会で優勝して石川県の会場から帰ったら、誉められもせず「あんたどこ行ってたんよ? 家にも帰らんと!」て怒られたわ。
H 私は寺田甚吉さん(※1)に「ぜひに」といわれて、お屋敷で三味線を披露したんを覚えてるわ。習い事も身についたら強い。

私らにとって岸和田は「国籍」みたいなもの

撮影ロケ地:コシノギャラリー(アヤコ食堂2階)

H 何といっても自分の出身は岸和田。海外にいるときも国籍は「日本」ていうよりも「岸和田」。これは誇りやね。
J そう。自分の中では岸和田ことば がスタンダードで、今でも日本語は岸和田ことば。要するに、出身地は日本であることよりも岸和田という思いが優先してる。
H 事務所でスタッフと話してても、みんな標準語と岸和田ことばを使い分けてる。私に感化されてるねん(笑)。来客者はスタッフ間の会話になると「…??」。つまり、何語かわかっていない。
J そう。「しちゃって」とか「食べり」とか岸和田ことばが耳に居ついて、愛着以上のものがある。お母ちゃんが東京に来たときは「何語を話している の?」と友だちからよく聞かれたわ。「宇宙語?」とからかわれた。私は上京した折、無口でしゃべれなかった…、標準語についていけなくて。
コシノジュンコ
M ロンドンで日本のことを聞かれたら、「日本」イコール「岸和田」として答えてるわ。私は英語と岸和田ことば、2カ国語で会話している。ロンドンは地域色が濃くて、自分の住む地域が最重要。それと一緒やで。私はもう関空着いたら、まず岸和田! 打合せがあったら大阪市内にも行くけど、そんなんどうでもいい、とにかく岸和田やわ。
J 地域文化は優先ね。世界的に。
M ロンドンの人にとって日本は同じ島国でも自然災害の多い国という印象が強くて。そやけど岸和田の数百年続く城下町、城、そして空の面積の広さ(都市部に対して)を伝えると関心を持ってくれる。海が近いことも。広く知られていないことが残念やわ。これは岸和田の人、ひとりひとりが意識してほしい気がするなあ。

変わらない岸和田、変わっていくだろう岸和田

コシノミチコ

H 落ち着いたとはいえコロナ禍や、海外の紛争問題、円安とかで、消費や流通、サービスが変化してるな。うちらも大変やわ。岸和田はこの先どこへ向かうんやろ?お母ちゃんおったら、どう言うと思う?
J 100年経ってもお城や城下町、商店街はもちろん、だんじり祭は残っていて欲しい、ってきっと言うわ。海外から評価されている岸和田のいい個性が地元であ まり認識されていない気がする。それが課題よ。
H 私はメタバース(※2)でのビジネスを始めた。性別や国籍・年齢問わずに交流したり新しいライフスタイルを楽しんだりと、時代は進んでる。もうすでに店でモノを売るだけの世界ではなくなってる。岸和田というまちも、デジタル化も含めてそんな進化ができるんちゃう?
J 市制施行100周年の節目に、いろんなイベントがあると思うけど、もうちょっと長い目で見ることが大事かもしれへんね。人流も変わっていくし。
M 100年に縛られず、三姉妹でできることをしてみぃひん?
H 岸和田へのご恩返しになるしね。持続性のある試みは大事やね。
M 高校生とか、若い子と協力して、一緒に制作するとか…。
J 若い子らの感性や才能を、いくつになっても感じていたい。岸和田をこの先も盛り上げるために、そんな夢を持ち続けていきたいね。

※1 寺田財閥の創始者・甚与茂(→P13)の長男
※2 ネットワーク上に置かれた、仮想の生活やサービス活動が行える三次元のバーチャル空間

コシノギャラリー(アヤコ食堂2階)の画像。現存するコシノ生家(元コシノ洋装店)であり、母・小篠綾子さんを偲び、三姉妹のヒストリーを伝える展示がされている