岸和田市市制施行100周年記念誌
岸和田のいまむかし20-21ページ

都市整備によるまちづくり

区画整理による土地利用の増進

これまでの岸和田市での大きなインフラ整備の一つに〝第二阪和国道の建設〞があります。経済の発展に伴って増加してきた大阪〜和歌山間の交通渋滞の緩和を図るため、新たな国道26号(第二阪和国道)の建設が計画された事業です。道路の整備と連携して八木地区、中央地区、南部地区の3区画については、新たな土地の整備もスタート。道のないところに道路を敷き、沿道の土地利用の増進を図る、日本の都市計画において〝都市計画の母〞とも称される「土地区画整理事業」を並行して行ったのでした。
工事は水路や公園の築造、建物移転、上下水道移設、整地など多岐におよび、また、急速な宅地化を見込んで公共施設の整備改善を行うなど、本格的な都市化をめざしたまちづくりとなりました。昭和41年(1966)の八木地区の着工から、中央地区の竣工に至る平成24年(2012)まで、46年という膨大な年月と市民の協力の上に、一帯のまちは整備されたのです。

第二阪和国道区画整理事業

第二阪和国道区画整理事業

  • 岸和田市内全線開通。セレモニーの様子
  • 岸和田市内全線開通。セレモニーの様子

第二阪和国道は昭和54年(1979)に岸和田市内全線開通。写真はセレモニーの様子

Pick up
区画整理の変遷

多くの農地が宅地に変わり、新たな道によって区画が整理されました。 多様な建築物も区画内に増えていきました。

元は川幅が不均一な整備前の春木川。あぜ道で区切られた農地だった頃の区画。 第二阪和国道と交差する道も整備され東西アクセスもスムーズに。病院や商業団地、高校なども配置された。過去と現在の比較画像
こんな整備・取組みも
「自然豊かな水辺の空間づくり」
緑豊かな遊歩道が整備されている春木川沿い

「豊かな自然環境と歴史的環境が織り成す『個性的快適環境都市』の創生」を目標に、河川の改修や管理も進められています。緑ある風景を生かし整備することで、よりよい景観が形成されています。

春木川沿い

良質な都市空間の形 6車線のゆとりある第二阪和国道。現在沿道にはさまざまな有名企業のロードサイド店舗が軒を連ねる 第二阪和道路の過去と現在の比較画像

水路工事 在来水路を基盤に将来の下水道計画も考慮し、区画道路などに側溝を設けて水路を整理 水路の過去と現在の比較画像

ご存知でしたか?
「岸和田市中央公園」の歴史

岸和田市中央公園

関西を代表する競馬場を都市公園へと整備
昭和49年(1974)3月、春木競馬場最後のレースに集まる観客。当日は雨だった

実はこの公園が元々競馬場だったことを知っている市民は今では少ないかもしれません。約100年前の昭和4年(1929)、この場所に競馬場が誕生しました。その名を「春木競馬場」といいます。当時は関西を代表する競馬場として人気を博しており、全国的にも高い売り上げを誇る名物競馬場でしたが、昭和49年(1974)3月、園内記念碑にも記されている「青少年や地域住民に及ぼす影響などを考慮して」などの理由から完全廃止となりました。
翌年から跡地の整備が進められ、昭和53年(1978)に岸和田市中央公園は開園しました。現在は、災害時の市民の避難場所でもあり、応急給水タンクも設置。都市公園としても高い評価を受け、日本の都市公園100選に選定されています。

春木競馬場最後のレース
現在は市のスポーツとイベントの拠点に

甲子園球場の約5倍の広さを誇る岸和田市中央公園は、桜、ツツジ、バラ、新緑に紅葉と、季節を実感できる市民の憩いの場であると同時に、岸和田市総合体育館やプール、グラウンドなども整備された運動公園でもあります。近年はスケートパークを整備するなど、新たなスポーツの誘致も行っています。また、岸和田市民フェスティバルをはじめとする各種恒例イベントなどでも市民に馴染み深い場所です。

  • 岸和田スケートパーク
    岸和田スケートパーク

    令和4年(2022)1月に園内にオープンした公共のスケート場。宝くじの助成金の支援で整備。

  • 岸和田市民フェスティバル
    岸和田市民フェスティバル

    昭和53年(1978)5月、公園が誕生した年に第1回目が開催された市を代表するイベントです

比べながら歩いてみよう 公園全体の形状に、競馬場のコースの名残が。実際に歩いて当時の様子を想像してみて。昭和50年と平成19年の比較画像