岸和田城展示案内
企画展「岸和田モダンタイム‐大正~昭和戦前期の諸相」
戦国時代以来城下町として発展した岸和田は、大正11(1922)年11月、大阪府下では大阪市・堺市に次いで三番目に市制を施行し、岸和田市となりました。この背景には明治以後、紡績業・綿織物業などの繊維産業や煉瓦製造業などの近代産業の発展と、それにともなう人口の増加がありました。
一方、岸和田紡績株式会社や岸和田煉瓦株式会社などを設立した寺田家は、明治時代以来、鉄道・電力・金融などさまざまな事業を展開し、地方財閥に成長しました。当時の寺田家は、当地の産業発展と街づくりに大きな影響を与えましたが、その面影は今でも五風荘や自泉会館などの近代建築物に偲ばれます。
10月より岸和田を舞台としたNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」が放映されますが、今回の企画展では、ドラマ序盤の設定時代となります大正時代から戦前・戦中の岸和田の町を、古写真や関係資料によってご紹介します。
期 間
平成23年9月7日(水曜日)から平成24年7月1日(日曜日)まで
会 場
岸和田城天守閣2階展示室
時 間
午前10時から午後5時 (入場は4時まで)
入場料
大人300円 中学生以下無料
休場日
2月6日(月曜日)・3月12日(月曜日)・4月16日(月曜日)・4月23日(月曜日)
主な展示資料
岸和田町全図 大正時代
市制施行前の岸和田町の地図です。旧紀州街道(国道16号線)沿いに多くの商店が立ち並び、海岸付近には紡績や煉瓦製造などの工場が立ち並んでいました。また岸和田駅は現在地よりやや大阪よりにあり、駅前商店街は「予定道路」となっています。駅前から港まで「昭和大通り」として全線開通したのは昭和5年でした。

寺田甚与茂像
寺田家は江戸時代には南町で酒造業を営んでいました。明治初期、甚与茂(じんよも)は国立五十一銀行設立に関わり、後に岸和田紡績や岸和田煉瓦など様々な事業を起こして成功し、地方財閥に成長しました。

岸和田煉瓦三号窯断面図 明治35年
岸和田煉瓦株式会社は、明治20(1887)年に山岡尹方・寺田甚与茂らが並松町の海岸部に創立した第一煉化製造会社にはじまります。資本金2万5千円。明治26年に岸和田煉瓦株式会社と改め、更に大正8(1919)年には岸和田煉瓦綿業株式会社と改称しました。原料の粘土は周辺より採集し、製品の品質もよく、当時の洋風建築の流行により順調に業績を伸ばしました。その製品は京阪神の煉瓦造り建築に多用され、旧大阪市庁舎や同志社女子大学の校舎等にも使われていました。社章は創業者の山岡尹方(ただかた)が熱心なキリスト教信者であったことから十字架をモチーフとしたもので、岸煉の製品に刻印されています。

母の会旗竿頭
山岡春は、娘が通う城内小学校での雨天運動場建設要求運動がきっかけとなって母の会を組織し、以後、岸和田の女性運動のリーダーとして活躍しました。母の会の旗は大正8年にシベリア出征兵士の出迎えのために作られ、竿頭には女性の髪の毛を植えています。

岸城町隣組の湯呑
岸城町の隣組で戦前・戦中に使用された湯呑です。湯呑の側面には「とんとんとんからりと隣組・・・」の歌が書かれています。

岸和田八景
泉南郡日根野村(泉佐野市)出身の日本画家小川翠村(すいそん)が岸和田の名所を選んで描きました。戦前の岸和田市内の様子を描いた数少ない絵画作品です。

岸和田駅 昭和3年頃

